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不思議なあの子は素敵なこの子 前編

冬企画:テーマ「もう一度」

 マサゴタウンのナナカマド研究所。ここがそう言う名前だと知ったのは、ずいぶん大人になってからのことだ。小さい頃のぼくにとっては、生まれて育ったところ、というだけだった。
 いろんなポケモンたちがいるけど、みんなぼくと同じくらいの年頃。
 お母さんやお父さんはいなかった。代わりに人間の研究員さんたちが、僕たちのことをずっと見てくれている。それから、お守りをしてくれるフローゼルおばちゃん。
「もう少ししたら君たちも大きくなって、トレーナーさんと一緒に冒険するんだ。こことはお別れだけど、きっと大丈夫。早く大きくなってね」
 人の言葉はずっと聞いているから何となく分かる。ある日、研究員のお姉さんは僕にそう言い聞かせてくれた。
 研究所の中のモンスターボールがぼくの部屋、ってことになる。朝になったら起きて、みんな外で遊ぶ。研究所を出れば公園みたいな広場があって、小さなポケモンたちが遊べるようになっている。砂場にジャングルジム、でっかい機関車、滑り台、なんだか登ってみたくなるオブジェ。
 一日中、ここの公園で遊んで、日が暮れたらごはんを食べて研究所のボールの中に帰る、そんな毎日を繰り返していた。
 ぼくもいつかは、ここを離れて、旅に出る。森までかな。山までかな。それとももっと、遠くかな。
 遠くに見える山を眺めて、たまに思いを馳せていた。

「なぁなぁ、これどこまででっかくなるかな」
 ヒコザルくんが嬉しそうに息を荒げて、砂場の山をぼくに見せた。木の枠で囲まれて、少しへこんだ砂場。その真ん中に、ちょっと分かるくらいの小さな山が作られた。乾いた周りの土と違って、掘り起こした黒い土だ。
「ポッチャマもでっかくするの、手伝ってよ」
 ヒコザルくんは指のある手で土の山を指して、ぼくに言う。
「いいよ」
 そう言って、ぼくはぺたぺたとヒコザルくんの後を追う。ヒコザルくんにはかなわない。ぼくはあんなに早く走れないから。
「じゃあ、おれはこっちの土を持ってくるから、ポッチャマはそっちな」
「うん、分かった」
 僕は頷いて、足元の土をかき集める。ぼくの手に指はないから、何かをすくったりするのはちょっとむずかしい。とりあえず、土を掘ってみる。後でどうすればいいかなんて、思いつかないけど。
「ふう」
 一息ついて、ふと顔を上げたら、知らない子が立っていた。水色の体に、大きな耳と、黄色い目。四本足なのは、友達のナエトルくんとちょっと似ているかもしれない。砂場のすみっこのほうで、こっちを見たり、目を逸らしてみたりしている。どうしたんだろう。
「おい、ちゃんと掘れよ」
「あ……う、うん」
 ヒコザルくんがきいきいと大声を上げる。ぼくは思わず気の抜けた返事をして、また掘り始めた。やっぱり、ヒコザルくんにはかなわない。怒ったら、うるさいんだもの。
 しばらく掘ったところで顔をあげると、まだあの子はそこに立っていた。そろそろと砂場に降りて、申し訳なさそうに脇でひとり、前足で砂に絵を描いて遊び始めた。
 ぼくの両手はいつのまにか止まっていた。気がついたらあの子のことをぼうっと見つめていた。
 フローゼルおばちゃんが優しい声で言い聞かせてくれたことがある。どんなときでも、みんなで仲良くやるんだよ。
 いま、それを思い出した。

「ねぇ」
 僕は声を上げてあげてみる。恥ずかしくって、声が上ずったかもしれないけど、しっかり息を吸い込んだ。
 あの子はこっちを向いてくれた。
「一緒に遊ぼうよ」
 心臓がどきどき言ってる。断られたらどうしよう、と思って、体が固まった。あの子の目を見て、動けなくなってしまった。
 でも、あの子の顔は、ぱぁっと明るくなって、
「うん」
 って返事をしてくれた。
 明るくて優しそうな声。こんな声なんだ。ぼくの胸の中まで明るくなっていった気がした。
「今ね、砂でおやま作ってるんだ。一緒に大きくするの、手伝ってよ」
「分かった。土掘るのは任せて」
 金色の目をぱっちり開いて、自信満々にあの子は言った。前足で土をかいて、山にかぶせていく。あっと言う間に、あの子の足元の土は随分深くまで掘られてしまった。
 あの子の体は全身水色だと思っていたけど、水色なのはお腹の辺りまでで、それより下は黒に近い灰色をしていた。ちょっと驚いて見とれていると、顔に土がべしんと当たって、ヒコザルくんが笑いだしそうになっていた。ぼくはちょっと不機嫌な顔をした。でも、土がシャワーのように掘り出されていく様子が面白くて、すぐにまたそっちに目を奪われた。
「すごい」
 一度に同じ方向から土をかぶせたから、少し縦長になっちゃったけど、それでも山は目に見えるほど大きくなった。
 前足を半分くらい真っ黒にしたあの子は、ふう、と一つため息をついて、しっぽをふっと揺らした。
「こんなもんかな」
 ぼくはくちばしをぽかんと開けて、その場に突っ立っていた。水色のあの子の姿が、どういうわけかきらきら輝いて見えた。
「すごいすごい! もっとやってよ」
 僕は自然と声を上げて、あの子に顔を近づけていた。
「いいよ、今度は……こっちからやろっかな」
 ちょっと場所を移動して、後ろを向いて前足で掘って行く。黒い土が宙を飛んで、ぼた雪のように砂山に積もっていく。
「わぁ」
 ぼく思わず声を漏らした。
 砂場のそばで、ボール遊びをしている子たちが騒いでいる。ちょっと近くの方で、おーい、俺も混ぜてくれよ、と言う声が聞こえた。ふと横を見ると、ヒコザルくんがいつのまにか、いなくなっていた。
 でも、水色のこの子と一緒にいたくて、気づいていないふりをした。

「あぁ、疲れた」
 四回ぐらい穴を掘ったところで、あの子も息が上がっちゃって、腰を下ろすしかないみたいだった。
「すごいよ、きみ! それ、どうやってるの?」
 ぼくは聞いた。水色の子はなんだか不思議そうな、でもちょっと誇らしげな顔をして、ぼくの方を見つめた。
「カンタンだよ。ほら、こうやってさ」
 山に背中を向けて頭を下げると、足元から土が飛び出してくる。ぼくも真似をして、後ろを向いて、頭を下げて両手の羽で土をすくって後ろで投げてみた。ぽいと軽い力で土は飛んでいくけど、あんなに早くはできない。
「ちがうよ、こうだよ」
 あの子がちょっと不機嫌な声で手本を見せてくれる。ぼくも力を入れて両手の羽を強く動かしてみるけど、やっぱり上手くいかない。
「だから、もうちょっと足を……」
「わぁ」
 あの子が喋ってる途中で、僕は大声を上げてしまった。あの子の後ろに、とても大きな、黒い毛に覆われたポケモンが立っていたから。
「コリンク」
「あ、ママ」
「もう、勝手にどっか行って。探したんだから」
 こんなにでっかいのが、この子のお母さん。それに、この子の名前、コリンクって言うんだ。
 僕はそんなことを考えて、お母さんのことを見つめるコリンクを見ていた。
「こんなに前足汚しちゃって、もう! ウチでキレイにしないと。帰るよ」
 コリンクのお母さんはコリンクの首根っこをくわえて連れて行こうとした。だけど、
「やだもん」
 とコリンクは首をぶるぶる振った。コリンクのお母さんは肩を落として、ため息をついた。
「そんなこと言っても、もう夕方だし、真っ暗になっちゃうよ」
 うー、と唸って、コリンクは下を向く。
「また明日もあるんだから、今日は帰る」
 コリンクのお母さんはそこまで言うと、コリンクも諦めたらしくて、しょげた顔で僕の方を見た。
「……バイバイ」
「バイバイ」
 半分反射的に、ぼくも同じ言葉を繰り返した。
「バイバイ、ちゃんと言えたね」
 コリンクのお母さんは、少し笑って、コリンクの首根っこをくわえて持ち上げようとする。
「ちょっと待って」
 コリンクはぼくの方に近寄って、前足を出した。
「ママが言ってた。ニンゲンの子供は、お別れする時ゆびきりげんまんって言うのをするんだよ」
「へぇ、どうやるの?」
 初めて聞いた。ぼくは興味しんしんで、コリンクに聞く。
「キミの指とわたしの指を合わせて」
 そこまで喋って、コリンクは言葉を止めた。ぼくの手に指はない。
「じゃあ、これでいいや」
 コリンクは笑って、手のひらと羽の先っぽを合わせる。ゆびきりと言うより、握手みたいになった。
「明日もきっと、会えますように。ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった」
 コリンクは高らかに歌い上げて、僕の羽から前足を離す。コリンクのお母さんに帰ろう、と言って寄り添った。
「じゃあ、バイバイ」
 振り返って、またどこかへと歩いていく。たぶん、コリンクのおうちに帰るんだろう。ぼくは追いかけようとして、一歩だけ前に踏み出した。それから、すぐに諦めた。
「バイバイ」
 ぼくはもう一度呟いた。
 その時、胸の奥がじんわり熱くなってきた。どうしよう、とめられない。
 我慢したけど、涙が溜まって、ぽろん、ぽろん、と落ちていった。
「バイバイ」
 明日もきっと、会いたいな。

 夜ボールに入って眠る前、研究所に敷いてある毛布の上で、フローゼルおばちゃんに今日のことを話した。
「コリンクがうちに来てね、一緒にお山作ったんだ。すごいんだよ、穴掘るのすっごい早いんだよ」
 話してるうちに、ちょっと盛り上がってきてしまって、気付かないうちに手足をぶんぶん振り回していた。
「うんうん、そうかい」
 ゆったりした口調で、フローゼルおばちゃんは相槌を打って、頷いた。
「新しい友達が増えたんだねぇ」
 ぼくはなんだか誇らしい気持ちになった。
「でもね」
 フローゼルおばちゃんは小さな指を立てた。
「どんな時でも、みんなで仲良くやってほしいと、あたしは思うんだよ。ポッチャマ、その子と遊んでるとき、最初に遊んでたヒコザルはどうしてたのかな?」
 あ、と声を出しそうになった。ぼくは思い出して、しまった、と思い直した。
「……全然、なんにも」
「おかまいなし、だったんだろう」
 ぼくは頷いた。途中からヒコザルくんのことを完全に無視して、コリンクにばっかり夢中だった。ヒコザルくんに、なんてことをしてしまったんだろう、と自分を責めたい気持ちでいっぱいになった。フローゼルおばちゃんの手が、僕の頭を撫でた。あったかい手だな、と思った。とん、と軽く叩くと、またフローゼルおばちゃんは喋りだす。
「……明日、ヒコザルに会ったらちゃんと謝るんだよ。昨日はごめん、って。いいね」
「うん」
「さ、今日はもう遅いから、寝るんだ。おやすみ」
 背中をぽんと叩かれて、僕は自分のボールに戻った。
「おやすみ」

 朝になって、ヒコザルくんはぼくを見るなり、わざとらしく顔を背けた。やっぱり、昨日のこと、嫌だったんだろうな。
「ヒコザルくん」
 ヒコザルくんどこかへ行こうとする。たぶんぼくから遠ざかろうとしている。ぼくは構わずに続けた。
「昨日は、……ごめんね」
 悪いのは分かってるけど、何が悪いのかをはっきりと言葉に出来なくて、思ったより上手には言えなかった。
 ヒコザルくんはちょっとだけこっちを見て、視線を下に落としている。
「謝ってるんだから、許してあげなよ。男の子だろ?」
 黙っていると、横からフローゼルおばちゃんがヒコザルくんに言葉を投げかける。
 ぼくらはその場に止まって、ヒコザルくんの言葉を待つ。
「分かったよ。いいよ」
 暫くしてから、ちょっとぶっきらぼうに、ヒコザルくんはそう言ってくれた。
「もし今日、あのコリンクが来たとしても、仲良くできるかい?」
 フローゼルおばちゃんの言葉に、ちょっとうつむき加減になって、ヒコザル君は小さく頷いた。
 ほっ、と僕は一息ついて、公園の庭につながるテラス窓の方を見た。差し込む朝日があまりに眩し過ぎて、右の羽根で目を隠す。羽根で影を作って、外を見ると、一匹のポケモンの姿があった。
「おはよう!」
 光が強すぎるせいか、そう言ったあの子の姿は、とてもきらきらして見えた。

 新しく加わった友達は、すぐにみんなの輪の中心になった。とても明るくて、やんちゃだった。フローゼルおばちゃんや研究員の人を困らせるイタズラを思いついたりもする。ぼくもヒコザルくんも、だいたいはコリンクの味方になって、一緒にあれこれ企んだ。誰がやったのかなんてすぐばれちゃうけど、みんな懲りずにまた手を出す。だって、あのドキドキはやみつきになるから。
 コリンクは足も速くて、かけっこさせたらヒコザルくんよりも早い。かけっこでは一等賞だった。 あれから砂山づくりはずっと続けていて、ぼくらの仲のシンボルとしてずっと残しておいた。ぼくらの体なんてすっぽり入ってしまうくらい大きくなった。砂場中の砂という砂は、ひとところに集められて、もうこれ以上大きくならないんじゃないかと思った。
 ずっと一緒にいられたらいいな、と思うけど、夕方になったらコリンクのママが迎えに来て、ぼくらはぎこちなくゆびきりげんまんしてお別れをする。雨の日は来てくれなくて、次の日が待ち遠しかった。昔は好きだった雨も、あまり好きになれなくなってしまった。明日もきっと会えるかな、ってフローゼルおばちゃんに聞いたら、きっと会える、って言われて、ぼくは毎日眠りにつく。

 そんな楽しい日々が終わってしまうなんて、考えたことがなかった。
 終わりは突然やってきた。
 ある日、砂場の山のてっぺんがぱっくり割れて、半分以上崩れて無くなっていたのだ。
「え、なんで」
 朝一番、コリンクが呟いた。
 ショックで何も言えない。とっても大事にしてたのに。悲しさと、残念さが混じったようなものが、胸の奥からこみ上げて来て、それを押さえつけるのに精いっぱいだった。
「どうせ誰かがぶつかって、壊したんじゃないの」
 ヒコザルくんはぶっきらぼうに、軽く呟いて、顔を横に向けていた。まるでどうでもいいみたいに。
 振り返ったコリンクの形相は、凄まじかった。歯を食いしばって、きっとヒコザルくんをにらむ。
「何だよ」
 ヒコザルくんがその目線に気付いた時にはもう遅かった。
 コリンクが体当たりして、ヒコザルくんを押し倒す。
「何するんだ……っ」
 乱暴に、コリンクはヒコザルくんに乗っかって、ひっかこうとしたり、噛みつこうとしたりした。ヒコザル君は両手両足をばたばたさせて、何とかさせないようにしている。
「あんたが壊したのね! ばか! ばか!」
 ヒステリックな声を上げて、コリンクは攻撃する。
「壊してない!」
 ヒコザルくんのパンチが、コリンクに入る。後ろにのけぞった瞬間、ヒコザル君は体勢を立て直し、今度は思いっきりコリンクを殴りつけた。
「俺じゃないもん!」
 裏返る程の大声で、ヒコザル君は叫んだ。
 しばらく取っ組みあっている二匹を、ぼくは何もできずにただ見ていた。
「やめて……ふたりとも、やめてよ」
 声に出してみたけど、届くほどの力はない。泣きたいのか、怒りたいのか分からなくなって、ぼくは、とぼとぼと研究所のボールの中に戻った。
 それから、ヒコザルくんとコリンクのけんかがどうなったかは、ちゃんと見ていないから分からない。どうにでもなればいい、そんなやけっぱちな気持ちで、目をつぶった。
by junjun-no2 | 2011-01-31 22:21 | 小説
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