カテゴリ:小説( 13 )

タブトーク・前編

 明らかに異常なレベルのタブンネが一番道路に発生した。
 カノコタウンのポケモンレンジャー事務所。電話を受けた所長は、コールを呼び出した。
「どうしました、所長?」
 コールが顔を覗かせた。レンジャーの赤い制服は動きやすさを重視して作られているが、この男が着るとどうも締まりがなかった。ぼりぼりと頭をかきながら、面倒くさそうな顔をしている。目のくまを見るに、恐らく先ほどまでどこかで居眠りをしていたに違いない。所長は問いただそうかと思ったが、話を続ける。
「あぁ、トレーナーから報告があってな。本来一番道路にいないはずの高レベルのタブンネが見つかったそうだ。今行けるのはお前しかいないから、ちょっと見て来い」
 うーん、とコールは唸った。
「一番道路を散策するトレーナーなんて、最初のポケモンを貰いたての若い連中ぐらいでしょう。ちょっとくらい強いポケモンがどこにいてもおかしくないですし、気のせいじゃないですかねぇ」
 コールはポケモンレンジャーの資格を取って、三年目の若手だ。入りたては良く働く男だと思っていたのに、最近は中だるみと言うべきか、妙に気力のない言動が目立つ。所長の悩みの種は、専らそれだった。
「言い訳してないで行って来い!」
「はい、すみません!」
 慌てて踵を返し、出かける準備を始めるコール。所長はため息をついた。

 コールはレンジャー用の道具が一式揃ったリュックを背負い、事務所を出て自転車を走らせた。所長のカミナリに少し反省はするものの、気だるい気持ちが抜け切れない。季節は春、ようやく安定して温かくなってきたのだが、それが逆にコールの眠気を誘っている。現在、午後三時。日が暮れるまでに終わればいいのだがと、コールは思った。怒られた手前、何も成果を上げずに帰るわけにはいかない。ポケモンレンジャー全員に支給される赤いハットが飛びそうになり、手で押さえる。風が吹いて、花びらが宙を舞い始める。地面に埋まった看板が見えた。「この先、一番道路」。
 先に続く道路を見る。道は二つある。一つはカノコタウンから真っすぐに伸び、カラクサタウンへと続く大きな道路。もう一つは、大きな道路の途中から脇に逸れる道だ。舗装もされていない、明るい森へと続く林道。その分岐点でコールは自転車のブレーキをかけた。後輪が砂利で滑る。邪魔にならないように自転車を脇に止め、林道に向かって歩いていった。
 人が三、四人並んで歩けるほどの広さの地面が、しっかり踏み固められている。カノコタウン出身の新米トレーナー達のものだ。彼らは旅立ちを迎えるとまずこの森で力を磨く。野生ポケモンと戦い、ポケモンバトルの基本的な感覚と判断を実戦形式で身につける。この辺りの野生ポケモン達の力は弱く、技を何度も繰り出さないと決着がつかない程度。判断ミスが命取りになったりすることはまれなので、ポケモンバトルの練習にはうってつけだ。
 それでも、不慮の事故が全く無いとは言い切れない。トレーナー達の安全な環境づくりの意味も込めて、この小さな森の環境を整えるのがコールの仕事だった。不穏な事態が発生すれば、緊急出動もありえる。今回がまさにそうだ。
 異常なレベルのタブンネ、と電話主は言っていた。この森の野生らしからぬ、強力なポケモン。下手に放っておいては、この森がトレーナーにとっても野生ポケモン達にとっても危険な場所になりかねない。タブンネは温厚な種族だ、と言われてはいるが、パニックになれば力だって出す。本人にとってもためにならない話だ。所長の言わんとするところは、大体こんなものだろう。
 コールはタブンネが本当にいるのか、未だ半信半疑だった。新米トレーナーの見間違いであるのではないかと考え、そうあってくれと信じていた。厄介事に関わるのは、誰だって嫌なものだ。

 適当な場所に立ち止まって、耳を澄ませてみる。自分の音を全て消し、全方向の音を受け止めようと努める。ぼうっと立ちつくしていると、うっかり気を許したポケモンが寄ってくる。
 後ろから、がさりと音が聞こえる。草むらから誰かが顔を出す音だ、と直感した。音の主を脅かさぬように、ゆっくりと振り返る。
 ピンク色の頭と、黄色の身体。小学校に入りたての子どもと同じくらいの身長。大きな耳にくるんと丸まった細長いものがリボンの端のようだ。青い瞳で、こちらをじっと見つめてくる。タブンネだ。コールはリュックからレベル測定器を取り出し、そいつに向けた。
 やはりか、とコールは落胆した。事実は自分の望むようにはならないものだと思った。機械が示した数値は、ポケモンリーグに出場するトレーナーのポケモン相当のレベルだった。そこまでとなると、自分の一匹しかいない手持ちでも太刀打ちできる自信はない。コールは機械をリュックに戻し、背負い直してタブンネに向き直ろうとした。その時だった。
 気付かぬうちに、タブンネはコールのそばまで近づいていた。コールの身体がびくっと震える。タブンネは両手を上げた。一瞬のうちに、数々の思いが頭を巡る。これはマズい。高レベルであるということは、人間を簡単にいなす力があると言うこと。逃げなければ。しかし、それはあまりにも一瞬のことで、抵抗することさえできなかった。タブンネの両手がコールの身体に触れる。
 何が、起こったのだろう。
 その瞬間、頭の位置は変わらないのに、急に地面が消滅して、コールはすとんとその場に落ちた。リュックが腕から離れ、服が全て身体から余ってしまった。衣類が身体から離れてしまう。身体が縮んでしまったのか、とコールは思った。いや、しかし、そんなことって。
 尻もちをつく。顔が完全に服の中にすっぽりと隠れて、視界は真っ黒だ。尾てい骨の上あたりがやたらと痛かった。細い器官を挟んでしまったかのような。腰の辺りにできものでもできていたのかと思った。声を上げそうになる。
 痛む部分をさすろうと、手を伸ばす。しかし、手がお腹の真ん中までしか届かない。やはり、手が短くなってしまったのか。身体をよじって、何とか触れてみた。ふわふわとした感触がある。これは、なんだ。全身から、汗が吹き出す。嫌な感じがする。
 コールは慌てて服を脱ぎ捨て、リュックを求めた。確か中に鏡があったはずだ。自分の身に何が起きたのか確認しなければ。リュックを見つけ、手を伸ばす。
 伸ばした手は、自分の知っているそれではなかった。ピンクとレモン色のツートンカラー。指先は小さく、赤ん坊のような手。明らかに、人間のものではない。まさか、まさか。鞄の中の鏡を取り出し、自分の姿を映した。見ずとも答えは分かっているようなものだったが、鏡を見るまでは信じまいとした。もしかしたらそうではないのではないかという思いがあった。だがそれも空しく、身体から剥がれ落ちた。
 映った姿は、タブンネそのもの。間違いなく、自分の身体だ。
『これは復讐だよ』
 後ろから、誰かが呟く。甘い女性の声だった。コールは振り返る。人間の姿はない。さっき自分に触れたタブンネが、そこにいるだけだった。まさか、彼女が喋っているのか。タブンネの目は相変わらず虚ろで、生気を感じられない。ふわっと近づいて、コールの身体が恐怖に震えるうちに、タブンネはコールを押し倒した。
 タブンネはコールに覆いかぶさっている。顔が影になってよく見えない。
『ずっとやられっぱなしになってる方の気持ちを知れよ、人間』
 しかし、口元でうすら寒い笑みを浮かべたのははっきりと分かった。タブンネは小さな両手でコールの首を掴む。タブンネは全体重をコールに乗せ、コールの首を絞めていく。コールはタブンネの腕を取り払おうとした。だが、人間とは違う感覚で、力を上手く伝えられない。苦しい。息が出来なくなる。身体中の流れが止められる。深く暗い闇が、まぶたの裏に映った。徐々に闇が視界を支配していく。
 耳のひだに、タブンネの手が触れた。その瞬間、嫌な音が身体の中に流れ込んだ。誰かが殴られたような、鈍い音。それをあざ笑うような、そういう音。
 意識を失いかけたその時、タブンネの手が緩んだ。コールは勢いよく息を吸い込み、むせた。視界が元に戻っていく。タブンネの顔が、青い瞳が映る。彼女は涙を流していた。コールは困惑した。そして、何かを決したかのように、瞳に鋭さを込めた。両手をもう一度、コールの顔にかざす。また首を絞められるのかと思ってびくついた。だがそうではないらしい。タブンネの両手から黄色い光が溢れ出す。そして、光線が放たれる。眩しさに目を閉じた。
『本性出せよ、この悪魔』
 タブンネは言葉を吐き捨てた。タブンネの手から放たれる光線が、コールの心を分断する。コールは意識の中に、何か別の存在が現れるのを感じた。一度溢れたら最後、絶対に抗うことのできない、赤い闇。骨の髄から漏れ出して、徐々にサイズを増し身体を支配しようとする。心臓の鼓動が早くなる。止めたいと思っても、既に身体のほとんどは闇に飲み込まれてしまっていた。体系だった自分というものが壊れて、体じゅうを探してももうどこにもない。息が荒くなっていく。ごくりとつばを飲み込む音がいやに響いて、赤い闇に意識の全てを奪われた。

 どこかで丸くなっている自分に気がついた。起きようと思って背伸びをすると、急に視界が明るく開けた。
 誰かの家のリビングだ。広くはないものの、窓から差し込む光が部屋を明るくし、狭さを感じさせないようにしていた。一人暮らしだろうか、モノが少ないように思えた。あるのは、緑色のソファに、ガラスのテーブル。引き出しのついた背の低い木の棚、その上に薄型テレビ。テーブルの上に置いてあるモンスターボールが、開きっぱなしで揺れている。もしかして、自分はこのボールから出てきたのだろうか。モンスターボールの中はポケモンにとって快適な空間になっているとは言われているが、実際に見る機会なんてそうそう無い。どうやって入ったらいいかも分からないし、少し勿体ないことをしたな、と惜しい気持ちになった。
 両手をまじまじと見つめる。どうやらまだ自分はタブンネの姿のままらしいことを知る。
『あら、おはよう』
 廊下側から、タブンネが顔を出した。一瞬、自分を襲ったタブンネかと思ったが、別人だとすぐに分かった。何から何まで全て違うように見えた。具体的に違う点を挙げるとすれば、彼女の場合目元が少し離れている。瞳の輝き方も全然違う。自分と同じ動物の顔は見分けられるのだ、という話を思い出す。タブンネの違いがはっきりと分かってしまう自分が、少し悲しい。
 それにしても、このタブンネも喋っている。自分がポケモンだから、ポケモンの言葉を理解できるのだろうか。そんな疑問はさておき、今は彼女に話を合わせた方がよさそうだ。おはよう、とコールは返した。
『ここは、一体どこだい? それに、君は……』
 コールは言った。そのタブンネは窓のそばに寄り、外を見た。暫くののち、彼女は答える。
『ここはカラクサタウンのアパートリプレ301号室よ。私はミミ。ポケモンレンジャーしてるフィデルのお手伝いをしてるの』
『フィデルだって? それってまさか、あの?』
 コールは思わず聞き返した。ポケモンレンジャー界では、名の知れた人だ。まだレンジャー歴は自分より数年上なだけの若手だが、ポケモンを傷つけない独特のスタイルによって暴れるポケモンを宥めてきた凄腕の先輩レンジャーだ。少なくとも、コールにとっては憧れの存在であった。新人研修の時に一度彼女の仕事を見る機会があったが、このミミとのコンビネーションは抜群で、尊敬の念を抱くようになった。彼女が黄色いビードロを吹き混乱状態のポケモンを宥める姿は、身近な夢のモデルにふさわしいものだった。
「おはよう、ミミ」
 廊下側から、一人の女性が顔を出す。ピンクのチェック柄のパジャマを着ていたが、すぐにフィデル本人だと分かった。思わず、顔を覆ってしまう。どうしよう。今、自分は憧れの彼女の家にいる。正直な話、彼女に対して思うところは憧れだけでなく、一人の男としての好意という意味も含んでいるのだ。
「きみもおはよう。もう落ち着いた?」
 フィデルはしゃがみ、目線をタブンネに合わせて頭を撫でた。さらさらとする。優しい感触に思わず目を閉じる。全身が緊張し、心臓の鼓動が早くなる。憧れの人からの思わぬアプローチ。しかも、向こうは自分が本当は人間だということにすら気付いていないせいで、遠慮がない。手を乗せたまま、フィデルの瞳がじっとコールを見つめた。
『あ、あの』
 直視に耐えられず、思わず目を背けた。しばらくするとフィデルは、安心して、ここは大丈夫だからね、と言ってコールの頭をぽんぽんと叩き、別の部屋に行ってしまった。
 ひとまず予期せぬ緊張は去り、コールはため息をついた。心の余裕が出来たところで、フィデルの言葉を不思議に思った。ミミに尋ねてみる。
『ミミ、落ち着いた、ってどういうことなんだ?』
『ええっ!?』
 ミミは声を上げ、大げさに驚いたリアクションを取った。自分の意識がないうちに、信じられないほどのことをやってしまったらしい。
『あまり記憶がなくてさ』
 コールは苦笑した。あの光の後、一体何があったのか。コールは知りたいと思った。何から話そうか迷っているのか、ミミはもじもじしていた。
『一番道路におかしなくらい強いタブンネが出た、っていう報告があったらしいんだけどね、その子を助けに行ったレンジャーが行方不明になっちゃって、それで代わりにフィデルと私が止めに行ったの。あなたすごい暴れようだったわよ。シンプルビームはむちゃくちゃに撃つし。フィデルのビードロもぜんぜん効かないし。あくびをしたらすぐに眠ってくれたからよかったけど、ちょっと怖かった。あれは興奮しているというより、何かにすごく怒ってる、って感じだったなぁ』
 どうやら、勘違いされているようだ。コールが対処しようとしたタブンネが、いつのまにか自分ということになっている。ミミやフィデルは恐らく、一件落着と思っているだろう。でも、本当はまだ何も解決していない。
 人間としての自分は、行方不明扱いされているようだった。あの場に服もリュックも置き去りにしてきたのだ。救援を呼ぶほどの大事と判断された以上、誰かがそれを見つけ、回収してくれたのだろうが、それについては元の姿に戻ってから考えることにしよう、と決めた。
 シンプルビーム、と聞いて、思い当たる節があった。もしかしたら自分を襲ったタブンネが最後に放った光線はそれかもしれない。特性をたんじゅんにする技。それがどういうわけか、人の理性を失わせる方向に効果がシフトしたのだろう、と推察した。つまるところ、自分の特性を書き換えられることで、一時的にただの獣にされていたのだ。
『ねぇ、何に怒ってたの?』
 ミミは首を傾げながら聞いた。
『うーん、分からないな』
 コールは苦笑した。自分が何かに怒っている? 少し深く考えてみたが、心辺りはない。強いて言うなら、首を絞められた時に聞いたあの嫌な鈍い音だ。誰かに殴られた時のような、あの鈍い音には非常に嫌悪感を覚えた気がする。

 フィデルが戻ってきた。パンとミルクを両手に携えて、ガラスのテーブルに置いた。ランチョンマットを忘れた、と言って、自分の朝食をテーブルに置いて慌てて取りに行った。彼女が戻ってきた時、ぐぅとお腹が鳴った。あぁ、ごめん、二人のご飯も用意するから、と言って、フィデルはまた台所に戻る。戻ってきた時、その手にあるものを見て思わずぎょっとしてしまった。自分もポケモンに食べさせているから見たことのある袋。ポケモンフーズだ。これを食えって言うのか。コールは冷や汗をかいた。
 茶色い塊が、お皿に盛られる。傍目にも、あまり美味しそうには見えない代物。いただきまーす、と、一人と一匹の声。ミミはポケモンフーズを口に含み、ゆっくりと噛んで食べる。おしとやかだが、一歩踏み出す勇気が出なかった。
「食べないの?」
 フィデルは聞いた。コールはフィデルの顔を見つめる。
「いいんだよ、食べれなかったら。無理しないでね」
 そう言って、フィデルは優しく微笑んだ。胸の奥から、つんと湧きあがってくる切ない気持ちを感じた。タブンネの姿になっても、まだ彼女に対する人間としての気持ちは持ち続けられていることに一抹の安堵を覚えた。流石に頭を撫でられるのは想定外過ぎて緊張を禁じえなかったが、今は落ち着いてそんなことを考えていた。
 思考は、折角好きな人が用意してくれた食事を食べないのは失礼だ、という結論に至る。ここで引いては男がすたると、妙な意地が生まれる。ええい、ままよ、とポケモンフーズを口に含んで噛んでみた。
 うまい。コールは驚きを隠せなかった。一口、もう一口と、次々にポケモンフーズを口に運ぶ。これはこんなにうまいものだったのかと、ある種の感動さえ覚えた。
 次々に口に放りこんでいく姿を見て、フィデルはにっこりとほほ笑んだ。その姿に気付いたコールは、やってしまった、と思った。女性の前でみっともないところを見せてしまった、とどぎまぎした。もちろん、そんな風に今のコールを見る人間は一人もいなかった。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-08-25 12:16 | 小説

タブトーク・中編

 食事が終わり、フィデルは別室で着替えを済ませた。フィデルはさてと、と呟いた。
「ねえ、タブンネ君。きみを今から育て屋に預けに行こうと思うんだ」
 フィデルは目線をタブンネの高さに合わせ、真剣な面持ちでコールを見つめた。
 真面目な話なのだろう、ということはすぐに分かった。
「きみは誰かに育てられたポケモンなんだよね。
 バトルを見たときに分かったよ。野生には野生の、トレーナーに育てられたポケモンにはそれらしい癖があるもの。……野生で生きることは辛いことだと思う。だから一旦預かってくれる人の所に、きみを連れて行こうと思うの」
 少し、フィデルの目が涙っぽくなっていた。言い分は分かる。だがコールは首を横に振った。振らなければいけない、と思った。
「きっと良くしてくれる。その後なら、野生に戻りたければ戻ってもいい。だから、一緒に行こう?」
 コールはもどかしさを感じていた。この説得を自分が聞いたところで、何にもならない。コールは下を向く。
『僕は、』
 コールは顔を上げ、口を開く。そして、一気に喋り出す。
『僕は行きません。だって、本当は僕は人間なんです。本当に見つけるべきタブンネは僕じゃない。僕をこんな姿にしたやつがいる。フィデルさん、偶然だけど、こんなところであなたに会えてとても嬉しかった。もしかしたら、タブンネを育て屋に連れて行くところまでがあなたの指令なのかもしれません。この任務が失敗することで、あなたの顔に泥を塗ることになってしまうかもしれない。けれど、それは勘違いなんです。本当は、僕がやるべきことなんです。あなたに任せてしまっては、僕はあなたに顔向けできなくなる。だから、あなたと一緒には行けません』
 コールは呼吸を忘れるほどの勢いでまくしたてた。全ての思いを吐露しきったその時、まるでさっきまで潜水をしていたかのように息を大きく吸い込んだ。
『人間には私たちの言葉は聞こえないわ』
 ミミは少し憐みを込めた目で、コールを見つめた。その視線が、コールの心を突き刺す。目のやり場を無くし、俯いた。ポケモンの言葉は人間には伝わらない。当然だ、とコールは思った。だって、自分もポケモンが喋る姿を見たことがない。人間には聞こえないのだ。今喋った言葉も、人間にはただの鳴き声にしか聞こえなかったのだろう。届けたかった言葉が伝えたい相手にだけ届かない。やるせなさが、コールの肩に重くのしかかる。
『でも……あなたが人間って、本当なの?』
 ミミは聞いてきた。コールは頷いた。
『今行方不明って言われてるポケモンレンジャーがいるだろ。あれ、実は僕なんだ。別のタブンネを追っていたら、そいつに襲われて、こんな姿にされてしまった。何をされたのか分からないし、元に戻る方法も分からない。
 だけど、もう一度その子に会えば何か分かるかもしれない。その子がどうしてこんなことをしたのか知りたい。あの子は、僕に任せてほしいんだ』
 こんなことを、ミミに言っても仕方がない。それは分かっている。この決意が、正しいのかどうかも分からない。けれど口に出せば、自分のやるべきこと、望むべきことがはっきり分かる気がした。
 あのタブンネを、助けてあげたい。レンジャーの道具も、自分を証明するものも何も無いけれど、彼女と交わせる言葉がある。あの子を助けるとしたら、今しかない。他のレンジャーが気付いて、彼女に手を伸ばす前に。
 行かない意思表示として、コールは首を振った。フィデルの目をじっと見つめた。タブンネの青い瞳が、思いを伝えてくれればいいと思った。フィデルは、じっとコールの目を見た。人間とポケモンの言葉は通じなくても、彼女は会話しようとしている。
 フィデルは、ゆっくりと目を閉じた。
「他にやるべきことがあるんだね。それも、きみ自身の力で」
 コールは頷いた。フィデルは暫くの後、分かった、と答えた。行き先は一番道路かと聞かれ、コールはまた頷いた。フィデルはモンスターボールの開閉スイッチをコールの方に向けてかざした。
「ボールに入れて連れて行くよ。その方が早いでしょ」
 フィデルはにっと笑った。

 モンスターボールから放たれる赤い光に包まれて、コールの身体はボールの中に吸い込まれていった。ボールはフィデルの腰のベルトに付けられた。ボールの中の空間は広いとは言えないが、地面はふかふかで、眠ることもできそうだった。天井からは外の景色が見えた。自分は今、小さくなっているのか。コールは不思議な気持ちになった。
 町外れ、一番道路の看板が見えたところで、フィデルはコールとミミをモンスターボールから出した。
「これ以上詳しい場所には連れていけないけれど、頑張ってね。私、きみを応援してるから」
 フィデルは言って、満面の笑みを浮かべた。ミミも同じ表情だ。
『二人とも、本当にありがとう』
 コールは言った。そして振りかえろうとした途端、ミミに呼び止められた。
『あなた、フィデルに恋をしてるでしょ』
 ふいに、ミミが呟いた。なぜ分かったと言わんばかりに驚いた顔をして、コールは固まっていた。
『分かるわよ。ずっとぼうっとしてたもの。フィデルのことを見ながら』
 ミミは右手を口元に当てて、穏やかに笑った。
『恋って素敵よ。全てが幸せに見えるんだもの。私もしたことあるわ。一目ぼれで、二度と会うことはないでしょうけど……いつ会ってもいいように、私はいつも恥ずかしくない自分でいたいと思う。だから、あなたもそうであってほしいの』
 ミミは少しだけ目を伏せた。そこに込められている意味は、祈りだけではないのだろう、とコールは悟ってしまった。タブンネの身体は、耳が良く聞こえるようにできている。そして、音から他人の気持ちを知る力も備えている。そんな話を、今になってようやく思い出した。コールの心は、無意識のうちに敏感になっていた。ミミの祈りに、憂いが隠れている。
「どうしたの?」
 フィデルが首を傾げた。コールははっとして、我に返った。いつの間にか憂いの理由を読もうと、膨らんだ想像に囚われていたらしい。コールは首を振った。
『いや、何でもないですよ。行ってきます』
 笑みをフィデルに見せ、振り返った。

 コールは息を切らせながら走っていた。タブンネの足は短い。思ったようなスピードが出ずもどかしい。想像していたよりもずっと長い距離をひたすらに走った。身体の重さに、ひどく負荷がかかる。息がつらい。途中で川を見つけたので、水分を補給した。両手で掬うには手が小さ過ぎたので、顔を直接川の流れに突っ込んだ。砂利が少し口の中に入る。川の中につばを吐き出す。口の中が粘っこい。顔を手で擦る。
「見つけたぞ、タブンネ」
 真後ろから、声が聞こえる。こちらの気を引くためにわざと言ったのか。コールは振り返る。ガタイのいい人間の男が、モンスターボールを持っている。それを投げると、中から光と共にシルエットが浮かび上がり、実体が作り上げられていく。ヒヒダルマ。頭の中で、もうひとりのコールが呟く。自分より少し背の高い、しかし遥かに身体の大きいダルマのようなポケモンがコールを睨んでいた。大きく裂けた口と開かれきった目が異様で、身体がすくんで動けなくなった。
 ヒヒダルマの鼻息が、ぶわぁっと大きく吹きかかる。大きな瞳から目を離せない。両手が震えて止まらない。顔が引きつる。
『ご、ごめん、痛いのはいやなんだ』
正直な気持ちを、口にしてみた。体はタブンネでも、中身は暴力なんて振るうことも振るわれることもない人間だ。逃げよう。一歩、距離を置こうとした。緊張感でふらふらする。倒れないようにしっかり地面を感じながら、後ずさる。
 ふん、とまたヒヒダルマの鼻息。その音はさっきより激しい気がする。
「ヒヒダルマ、ばかぢから」
 後ろのトレーナーが指示を出す。ヒヒダルマが腕を振り上げる。
『知るか』
 その巨大な拳が振り下ろされる直前、ヒヒダルマはそう言った。
 がん。鈍い音が全身に響いた。身体の中身が偏って、空白の部分ができる。頭だ。頭をえげつない力で殴られたのだ。頭にぶつけられた暴力が、全身を揺らした。揺さぶられた身体はバランスを失い、どさりと倒れる。痛みは後からやってきた。衝撃の波が足まで渡り、跳ね返ってまた空白の頭に戻ってきたとき。あぁ、あ、と言葉にならない声が漏れた。息を吸うのが苦しい。小さい呼吸が、だんだん大きな呼吸へ。それに呼応して、頭の痛みはひどさを増していく。我慢できない。言葉にならない声は、叫びへと変わった。
『アンタさぁ、痛がりすぎ。経験値のくせに。頭おかしいんじゃないの?』
 そういえば、とコールは思い出す。ヒヒダルマの声のトーンは、妙に高い。しゃべり方も何だかゴツゴツしてなくて、むしろ意外と柔らかい感じがする、などと気の抜けた考えが脳裏をよぎった。確かに、頭はおかしくなってしまったのだろうな、と心の中で呟いた。現実がそろそろ嫌になってきた。仰向けになってみたら、空が広い。
「戻れ、ヒヒダルマ。……アイツがこんなに弱いはずもないしなぁ、ハズレかよ、くそ、タブンネめ、どこにいやがる、イラつくなぁ、くそっ、あの野郎、タブンネの見分けなんか付くかよチクショウ」
 さっきのトレーナーが、ヒヒダルマをボールに戻してからぶつぶつと呟く。がさがさと草をかき分けて、また何処かへ去っていく。どうやら自分は用済みらしい。待て、一体何がハズレなんだ。
 これがタブンネ狩りか。コールは無性に悲しくなった。ポケモンはバトルをすることで成長のエネルギーを得る事が出来るが、その成長具合は相手の強さと種族によるそうだ。その中でも、タブンネはかなり成長度の高いポケモンと言われ、重宝がられている。
 コールは拳を握った。力の限り、強く。暴力的な痛みを覚えると、どうやらそれは怒りに変化するらしい。拳で地面を打つ。地面は響かず、鈍い音がする。腕に泥がべっとりついてくる。頭のズキズキとする部分から声が響く。お前一人じゃ何もできやしない。肩書も道具もポケモンも無いお前なんか、ただの役立たずだ。牙があったことさえ忘れた家畜だ。フィデルの家で死んだように一生閉じ籠っていればよかったのだ。
『ちくしょう……』
 自分の周りを飛び交う虫の羽音がぶんぶんと煩かったが、どうすることもできなかった。

 何者かの足音が聞こえる。身体を動かすのがおっくうで、目を閉じたまま耳を澄ませた。人工物の固い音ではないことから察するに、人間ではなさそうだ。草を労わるように歩く足音は、コールの方に近づいてきた。
 今、足音の主はコールの真後ろにいる。コールの顔が日陰になる。コールの顔に触れるか触れないかの距離に、それは手をかざす。柔らかい光がぽう、と放たれる。桃色とも、橙色ともつかない光がコールを包む。コールは目を閉じていながら、その光を存分に味わった。まぶたのフィルターを通すと、より自分の身体に取り込まれやすくなる気がした。そうやって、光の一つも逃すまいとしているうちに、身体が楽になっていった。緊張した筋肉がほぐれて、頭の痛みも消えていく。大きく息を吸えるようになる。
 目を開けて、光を放った誰かの正体を確認しようとした。
『大丈夫?』
 彼女は優しい声で語りかけた。コールは目を開けて、体を起こす。彼女の顔を見る。メスのタブンネだった。頭をさすってみると、痛みは引いていた。こぶもできていない。
『ありがとう、もう大丈夫。今のはいやしのはどう? 凄いね』
『ありがとう』
 彼女はにっこり笑って、右手で波動の光を作って見せた。オレンジ色と黄色の混じった光が自己主張する。その光を消すと同時に、彼女の瞳からも光が消えた。
『酷いよね、あいつら。タブンネを倒せばポケモンが早く育つからってさ、あんな風に殴るんだよ』
 人間が去った方向を見据えながら、吐き捨てるように言った。コールは彼女と同じ方向を見つめながら、頷いた。自然と近寄っていき、耳と耳が触れそうになる。
『あぁ、ひどい。でも、人間に復讐するのはもっとひどいとは思わないか。例えば、僕をこんな姿にしたりね』
 コールは真っすぐに彼女を見据えた。流すように、空気に溶け込むように軽く、コールは言葉を放つ。きっと、彼女の心にはその方が引っかかるだろうという気がした。彼女は目を一瞬見開き、あからさまに視線を下に逸らす。さっきよりも陽気な口調で、コールは続けた。
『君を見て一瞬で分かったよ。君が僕をタブンネの姿にしたってこと。あれもわざの一つだろう? 僕の見立てでは、なかまづくりだと思うんだけど、どうかな』
 彼女は下を向いたまま、しばらく固まっていた。
『……ごめんなさい』
 消えて無くなりそうなほど、小さくかすれた声。微かに肩が震えている。全て図星なのだ、とコールは察した。
 再びコールはタブンネに向き合う。そして、小さな腕で彼女を引き寄せた。ふわりとした感触が、全身を伝う。お互いの耳が顔にかかる。耳の下の触角から、彼女の心の音が伝わってくる。不安、怯えの音だ。コールは彼女の触角を自分の頬に当て、心の声を送った。怖がらないで。その想いを心臓に乗せる。
『いいんだよ。その話、詳しく聞かせて貰えないかな。僕の名前はコール。人間の時はポケモンレンジャーをしていた。君の名前は?』
『……モモ』
『いい名前だね』
『そんなんじゃない』
 暫く沈黙が続く。コールはモモの言葉を待った。
『この名前を付けてくれた人間は、凄く嫌な奴だった。あいつは、私をサンドバッグにするために私を育てたんだもの』
 モモは俯き、また顔を上げる。
『野生のポケモンや他のトレーナーと戦わせてくれて、最初はただただ強くなるように育ててくれたんだと思ってた。だけど途中からね、おかしかったの。バトルに出しても指示は出してくれないし、ごはんもあまり食べさせてくれないし。私、毎日あいつの仲間とバトルして殴られてたの。どれだけ攻撃されて痛い思いしても、あいつは何も言ってくれない。反撃したくても、攻撃するための技をいつの間にか全部忘れさせられてた。だから、何とかしたくても何も出来なかった。相手の技を守る方法が分からなかった。忘れさせられてたのよ、全部。毎日殴られて、あいつは私になんて言ったと思う? 「いいぞモモ、よくやった」だって』
 モモの語気が荒くなる。ひどい、とコールは思った。モモは再び、自嘲気味に語る。
『タブンネって倒すと沢山成長できるって言うじゃない? あいつは他の仲間に倒させるために、私を育てたのよ』
 最初にモモの身体に耳の触角が触れた時に流れ込んできたどす黒い感情の意味を知る。自分はこれに怒りを覚えていたのだ。あまりにも理不尽だ、と思った。
『人間なんて、大っ嫌い。あいつらの形を思い出すだけでも、凄く嫌な気持ち。だから、それから会ったトレーナーのポケモンは、ボコボコにしてやったの。でも、そんなことじゃ私の気は収まらなかったのよ。人間に私の気持ちを分かってもらうなら、同じ目に合わせるしかないじゃない』
 モモはぐっと拳を握った。
『それで、僕をこんな姿に?』
 コールは聞く。こくり、とモモは頷く。
 急に、モモの身体は硬直した。口をもごもごと動かしながら、目はどこにも焦点が合わなくなる。その理由を聞こうとしたが、その原因に察しはついていた。声だ。荒っぽく草をかき分けながら、下品に話す声が聞こえたのだ。とても苛立っている様子で、片方は怒鳴り、片方は投げやりな口調だった。
「だーかーらー、一番道路には入って行ったんだろ?」
「そこまでは見たけど、それ以上は分かんねぇよ。森の奥の方へ行ったんだ」
「じゃあこの辺りにいるんじゃねぇか? 早く見つけろよ。そろそろレンジャーの奴らも気付いてんだ。バレたら俺もお前もどうなるか考えても見ろよ。ヤだろ? 分かったらさっさと探せ」
「分かったよ。チッ」
 怒鳴っている方の声には聞き覚えがある。ヒヒダルマを使ってきたあのトレーナーだ。自分を倒した後何処かへ去ったかと思ったが、戻って来たのか。あまり彼の姿を見たくないな、とコールは思った。モモの怯えようからしても、鉢合わせすることは避けたかった。人間達との距離はまだ遠い。コールはモモの肩を抱き、身体を隠せそうな草の陰に連れて行った。何処かへ行ってくれ、と必死に願いながら、草をかき分ける音を聞きとり続ける。自分たちとの方向とは離れていく。
『大丈夫?』
 コールは聞いた。
『大丈夫』
 そうは言ったものの、快調とは言えそうにない顔をしている。モモはその場にしゃがみこんだ。コールもそれに合わせる。
『あいつら、何者?』
『私をバトルのサンドバッグにしたやつと、育てたやつ。何でこんな所に』
 モモの声は震えていた。怒りと恐怖が混じった声を、絞り出すように発する。
『きっと、モモを探しに来たんだ』
 見つからないように、コールは二人の姿を覗き見た。モモは口をぎゅっと固く結んで、視線を落としたままだった。二人の男はそれぞれに草むらをあさっていく。ミネズミが一匹驚いて飛び出したが、そんなものは意にも介さず、手当たり次第に草むらを覗き見ていく。まだコールとモモの隠れている場所とは程遠い。
『よし』
 コールは力強く言った。二人の姿を見ながら巡らせていた思考が、一つの終着点を見つけた。コールはモモの手を両手で力強く取り、彼女の顔を見てにんまりと笑う。モモの視線がゆっくりとコールの方へと向けられる。
『今からさ、あいつらに一泡吹かせてやろうぜ』
『えっ?』
 モモは問い返す。コールは続ける。
『本当に君が許せないのはあいつらなんだろう? だったらあいつらに一泡吹かせてやらなきゃ、意味がないじゃないか。なあに、バチは当たらないさ』
『でも、あいつらの強さは半端じゃない。私なんかすぐにボコボコにされちゃうんだよ。三回もわざ食らったら立ってられないもの』
 モモはコールの手をぎゅっと握った。
『本当は、本当はあいつらに仕返ししてやりたい。でも怖いの。もし失敗して捕まったら、またあそこに戻らなきゃいけない。そういうこと、どうしても考えちゃって止まらないの』
 モモはぎゅっと目をつぶった。彼女の小さな手が震えているのが分かる。だが、コールは胸の内から、その手を止められるほどの勇気がふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。
『大丈夫さ。僕がついてる。僕は君を、助けに来たんだ』

 コールは作戦をモモに伝えた。やることは単純で、コールが二人のポケモンを相手取り、二人がバトルに集中している間にモモが後ろから一発かますというものだ。控え目に言えば作戦と言うには程遠いものかもしれない。成功させるには、タイミングと、素早い行動がカギだ。
『本当にコールが囮でいいの? あなたをこれ以上危険な目に合わせるわけにはいかないわ』
 それを聞いて、コールはぐっと目をつぶって笑った。
『いいんだって。イメージトレーニングはばっちりだからさ。君がうまくやってくれたら、どれだけ傷付いても僕は助かる。だから、頼んだよ』
 コールはモモの肩にぽんと手を置いた。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-08-25 12:15 | 小説

タブトーク・後編


 がさがさという音が近づいてくる。手当たり次第に探す二人組の片方が、そろそろモモとコールを引き当てようとしていた。目の前の草がかき分けられたその瞬間、コールは飛び出した。あたかも、音に驚いてあわてたポケモンであるかのように。
「おわっ」
 やせ型の男は思わず声をあげた。思い切り跳び上がったコールの身体は男の横をかすめていく。しかし勢い余って着地に失敗し、腹から地面に突っ込むコール。草がクッションとなり、痛みやダメージは殆どないのが救いだった。ゆったりとした動作で立ち上がり、男の方を見据えた。ヒヒダルマを使ってきた方のトレーナーだ。
「おい、タブンネいたぞ!」
 男は遠くの草むらを漁るもう一人の男に向かって叫んだ。
「ホントか!」
 妙に嬉しそうな声に、嫌らしい期待が混じる。ヒヒダルマを使うトレーナーの方へと走ってくる。コールは彼ら二人が固まって、ちゃんと自分の方に意識が向けていることを確認した。
「いいか、絶対に逃がすなよ」
 指示を出す男。こっちが、モモをサンドバッグ用に育てた張本人か。コールはひとりごちた。
「分かってるよ」
 上から見下ろす二人の男の視線が重力となって襲いかかる。二人はモンスターボールを取り出し、投げた。出てきたのは、ヒヒダルマとズルズキン。
 ヒヒダルマはコールの姿を見て、あらと呆れたような声を上げる。
『またアンタ?』
『知ってるのか』
 隣のズルズキンが聞く。
『こいつさっきボコボコにしてやったばっかだし。チキンで頭がおかしいの』
『ふーん』
 またこちらに向き直る。どうやら、ポケモン同士は別種族であっても個体の区別がちゃんとついているらしい。とは言え、こいつらにはそれをトレーナーに伝える手段が無いし、見たところそんなにトレーナーの意図を気にする様子でもない。コールはにやりと笑った。果たして効くのかどうか分からないが、試してみる価値はある。

「ヒヒダルマ、ばかぢから!」
「ズルズキン、裏に回ってとびひざげり!」
 二人が指示を飛ばしてくる。ヒヒダルマがハンマーのような腕を振り上げる。その間に、コールの背中に回り込もうとするズルズキン。挟み撃ちだ。
 一度でも技を食らってしまったら、痛みで動けなくなるのは目に見えている。コールはヒヒダルマの方を向きながら、聴覚を研ぎ澄ませた。ぎりぎりヒヒダルマの腕が当たらない距離を保つ。
 後ろの方で、空気の流れが変わった。土を蹴る音がする。ズルズキンのとびひざげりが間違いなく近づいてくる。右か左か、自分もどちらかに跳ぶしかない。コールは右に跳んだ。その瞬間、左腕にぴしゃりと鞭打つ感覚が走った。ズルズキンのとびひざげりが、腕に当たったのだ。だが、幸運にもかすめただけに終わる。少しひりひりするが、まだ動かせる。
 ズルズキンは勢い余って、ヒヒダルマの方にとびひざげりを飛ばしてしまう。
『邪魔!』
 苛立ったような声を上げたヒヒダルマ。
『おい、や、』
 やめろ、とズルズキンが言う前に、ヒヒダルマは腕を振り下ろす。がん、と鈍い音が響き、ズルズキンは地面に叩きつけられた。起き上がって来ない。戦闘不能だ。
「おい、何やってんだよ」
 ズルズキンの方のトレーナーが怒鳴る。ヒヒダルマの方のトレーナーも態度を硬化させ、返事をせずにヒヒダルマに怒りの矛先を向けた。
「馬鹿野郎! 何やってんだヒヒダルマ!」
 ヒヒダルマはふんと鼻息を鳴らした。起き上がったコールは、軽いショックを受けた。こいつら、チームワークがまるでなってないじゃないか。自分のやりたいようにワガママをやっているだけ。哀れ過ぎて、逆に愛着さえ湧いてきそうだ。
『君は、僕を倒すのかな』
 コールがしっとりとした声で言うと、ヒヒダルマはコールの方を注目した。ヒヒダルマは間延びした声で答える。
『あー、そうなんじゃない? 経験値ちょうだいよ。いっぱいくれるんでしょ』
 コールはふっと笑うと、ヒヒダルマの顔にそっと近づいた。
『経験値よりもっといいもんあげるぜ』
 コールはヒヒダルマの口に、自分の小さな手を当てる。そして両手をヒヒダルマの身体に乗せ、体重をかけてヒヒダルマの額にキスをした。それは桃色の光となって、触れた部分から徐々にヒヒダルマの身体を覆っていく。
『愛してるぜ』
 この高めの声からするに、きっとこのヒヒダルマはメスだろうという確信があった。だからこのわざ、メロメロは効果があるかもしれないとコールは考えた。
 しかし試しにやってみたら、まさか本当にポケモンのわざを使えるとは。桃色の光が出現した瞬間、やってみるものだなとコールは心の中で苦笑いを浮かべ、ポケモンの身体の不思議を実感した。ただイメージを浮かべてみただけなのに、どうしてこんなことが出来たのか、コールにも良く分からなかった。
「おい何してんだ、さっさと攻撃しろ!」
 後ろの方でトレーナーのどちらかが叫ぶも、その指示にはどちらも従わない。ズルズキンはヒヒダルマのばかぢからのとばっちりを受けてダウンしているし、ヒヒダルマの顔はコールを見つめてはいるものの、妙にぼうっとしている。メロメロの餌食になってしまったのだ。
『おやすみ、お譲ちゃん』
 と、コールは大きく口を開け、大きなあくびをする。ふわぁあ、という気の抜けた声が、三匹のポケモンの間に響き渡る。ヒヒダルマの目はしばたいて、やがてその場にこてんと倒れてしまった。

『さて』
 コールは振り返る。無傷なのに倒された二匹の手下をボールに戻し、次の手を探そうと腰に手を伸ばす。コールは一歩、また一歩と二人の男に近づいていく。
「みっ」
 人間にはこう聴こえる声で、コールは鳴いた。それにはっとして、二人の男は顔を上げる。その顔はどちらもひどく歪んで、しわくちゃだった。コールは目を閉じて、大きく息を吸い込んで、右手を口に当てた。
 二人の焦ってボールを探す手が段々とゆっくりになり、頭の位置も不安定になって、前後に揺れ始める。その揺れは次第に大きくなっていき、まぶたも完全に閉じていた。後ろからもう一匹のタブンネが姿を現したが、この男達はもう気付くまい。眠くて眠くて、もうきっと音も聞こえないはずだから。
 乱暴な音を立てて、二人の男は地面に倒れた。もう一匹のタブンネ――モモが頭のそばに立って見下ろしても、反応はない。
『こいつら、気付かなかったのかな』
『気付いてないと思うよ。ぐっすり眠ってる。シンプルビームが効いたみたいだな』
 コールが戦っている間、モモは物陰からずっとシンプルビームを少量ずつ二人に浴びせ続けていた。知らず知らずのうちに二人の思考や判断力は甘くなっていき、あくびを見せると身体が過剰反応するほどになっていたのだ。
 モモは一度だけ、コールの顔を見た。コールは大きく頷くと、モモはまた二人の男の寝顔を見下ろし、そっと両手を彼らの頬にくっつけた。そして、人間はどこにもいなくなった。

『今晩中に、コールは元の姿に戻れると思う』
『本当?』
 ぐっすりと眠りについた二匹のタブンネを遠巻きに見ながら、モモとコールは川べりに座っていた。もともとタブンネ達が身に着けていた衣服や道具は全てはぎ取られ、コールの手元に置いてある。
『なかまづくりの効き具合は自分で調節できるの。あなたにかけたわざは三日分くらいだから、そろそろわざが解ける時間のはずなのよ』
 シンプルビームによって記憶を無くして暴れ回っていた日が二日。捕獲されて、今日が三日目、というところか。
『そっか。こいつらの服を持ってきたのは正解だったかもしれないな。さすがに人間に戻ったら、裸じゃあいられないしね』
 コールは白いポロシャツをつまんで持ち上げる。顔を近づけて、においをかいだ。とりわけ嫌な感じはしないので、大丈夫そうだ。コールは大きく頷く。モモは呆れて、肩を落とした。
『あいつらはどれくらいあの恰好のままなの?』
『二日ぐらい、かな』
『僕より短いじゃんか』
 コールはおどけて言ってみたが、モモの顔は真剣そのもので、少し涙を浮かべていた。
『私、あなたをそんな姿にするまで人間なんてどうなってもいいと思ってた。誰でもいいから、滅茶苦茶にしてやりたいって思ってた。だけどそれは、当り前のことなんだけど、違うんだって気付いたの。滅茶苦茶にされた分だけ、辛い思いをするのは誰でも一緒なんだって。私は、あの二人に私たちの痛みを分かってもらいたいだけ。あなたのこともあってちょっと気が引けてたこともあるけど、二日もあればきっと十分な分かってくれるはずだと思うから』
 川が夕日に照らされてきらきらと輝くのが目に入った。そうだな、とコールは答えた。
 太陽が沈み、空の色が橙から藍色に変わると、周りの音まで変わった。川の流れる音だけだったところに、どんどん虫の鳴き声が重なっていく。生き物たちが活動を終えようとフェードアウトする空気の振動に変わって、別の活動が始まる音だ。コールはこの瞬間が好きだった。一度終わりかけたものが、何か別の力によって形を変えられ、魂が自由に飛び回れるようになる。そんな予感がするからだ。レンジャー活動が夕方終わってもあえて夜になるまで帰らなかったために、所長に怒られたこともあった。
『コールは人間に戻ったら、どうするの?』
 モモは聞いた。
『そうだな……まずは帰って所長に報告しないと。今僕は行方不明ってことになってるわけだし、みんな心配してるだろうから。モモはどうするの』
 コールの質問に、モモは答えが見つからない様子だった。
『どこにも行くところがない、か』
 モモは頷く。
『じゃあさ、僕と一緒においでよ。実を言うと仲間のポケモンが一匹しかいなくてさ、結構カツカツだったんだ。君みたいなのが居てくれると凄く嬉しい。だから……どうかな』
 コールは笑みを浮かべた。モモの目は一瞬見開かれ、少し伏せられる。
『本当に、いいの?』
 一言一言、確かめるようにモモは言う。コールは大きく頷く。
『もちろん。だって言ったろ? 君を助けに来たんだって』
 大きな笑顔を浮かべて、コールは右手を差し出す。出してすぐ、よく考えたらタブンネは握手なんてするのか疑問に思い、軽率だったかと引っ込めようとした。しかし、モモはその手を両手でしっかり取って、ぐっと握った。
『ありがとう』
 両手は肩の方へ回り、モモはコールに飛びついた。耳のひだにモモの顔が触れて、彼女の心の音がはっきり聞こえた。彼女の中から怯えるような不安の音は、もう聞こえてはこなかった。
 音が消えたと思って目を開けると、目線がさっきより高くなっていた。自分に抱きつくミミの足が地面から離れて、抱っこをしている形になる。彼女の身体は、ずっしりと重たかった。コールは長くなった腕で、しっかりと抱きしめた。
 近くで、タブンネの悲鳴が二つ上がった。何と言ったのかは分からないが、きっと想像を超える悪夢が身に降りかかったのだろう。



「いやー、今日もありがとうございました。こういうこと頼めるの、やっぱりフィデルさんしかいないですよ」
 コールは頭をかきながら笑い、カップの中のコーヒーを飲み干した。カラクサタウンの坂の上に立つ喫茶店の中で、コールはフィデルと向かい合って話していた。仕事の上でタブンネを捕まえる育てることにしたのだが、タブンネはどうやって育てればいいのか良く知らないので教えて欲しい、という体で会うことにしたのだ。話し始めはぎこちなかったコールも、何とかタブンネのことで話を盛り上げていく。
 モモとの出会いに関して、具体的な経緯は話さなかった。まさか先日捕獲して家に連れ込んだタブンネが自分だったなんて言い出すわけにもいかない。それに何よ、りこの話の詳しいところはモモと二人だけの秘密にしたいと思っていたからだ。
「いやいや、全然気にしないで。私で良ければ、いつでも呼んでもらっていいんだよ」
 フィデルは微笑み、コールを見つめた。そんなに真っすぐ見つめられると、直視できない。コールははにかんだ笑みを浮かべて、視線を下にやった。これは仕事上の付き合いに過ぎない、彼女はそのつもりなのだ、と自分に何と言い聞かせる。
「は、はい、ぜひ」
 しどろもどろになりながら、コールは返事をした。改めて、自分はまだまだ敵わないなと思った。
「うちのミミも喜んでるみたいだしね」
 フィデルはちらと横を見る。ミミとモモが、何やら楽しそうに話しあったり、お互いの顔をぺたぺた触り合ったりしている。どうやら二匹は気が合っているらしい。
「あ、ごめん、そろそろ行かないと」
 フィデルは腕時計を見て、かばんを手に取った。
「いえいえ、今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
 フィデルはミミをボールに戻し、コールの後ろにはモモが後を追い、喫茶店を出る。階段を先に降りたフィデルは、途中でコールの方に振り返った。
「それじゃあ、ここで。楽しかったよ」
 フィデルはレンジャー用の帽子を被った。これからまた、自分の仕事へ向かうのだと言う。
「あの、もし良かったら、またお話聞かせてくれませんか。モモもミミのこと好きみたいですし」
 コールはモモの頭を撫でてやる。モモはフィデルにお願いするように見上げていた。フィデルはモモに微笑みかけ、またコールの方を向いた。
「いいよ。また誘って。それじゃあ、また」
 フィデルはコールに手を振り、振り返って坂を上っていく。颯爽と、真昼の太陽のもと、光輝く白い道を真っすぐ歩いていく。その姿が恰好良くて、自分は彼女に憧れているのだ。
「さすが、決まってるなぁ」
 フィデルの姿を見つめながら、ぼそっと呟いた。また誘ってと言われたことが夢のようで、今いる場所が現実なのかどうか分からなくなりそうだった。自分の頬をぴしゃりと叩き、両手を上に伸ばす。
「僕もまだまだ、これからだ」
 空は良く晴れていて、気持ち良かった。そろそろ自分も一番道路に戻ろう。もう一度彼女に会っても、恥ずかしくないように。
「あ」
 坂を下っていると、細い路地に一匹のモグリューがきょろきょろと辺りを不安げに見回しているのを見つけた。路地に少し入り、辺りに誰もいないことを確認してから、モモの耳元でぼそっと呟いた。
「いつものあれ、頼むよ」
 コールは手をモモに差し出す。モモはこくりと頷くと、コールの手に触れた。一瞬のうちに背が縮み、コールはタブンネに姿を変える。
『こんにちは。こんなところに一人で、どうかしましたか』
 コールはモグリューに声をかける。
『あ、タブンネさん……どこでどう間違えたのやら、私、迷子になってしまったみたいで……お腹も空いたし、もうどうしようかと』
 がっくりと肩を落とすモグリュー。
『大丈夫ですよ。任せて下さい。僕はあなたを、助けに来たんです』
 コールはにっこりとほほ笑んだ。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-08-25 12:14 | 小説

MONK 前編


 1

「お、俺の負けだ、食い物ならいくらでもやる、だから許してくれぇ」
 私との勝負に敗れたリングマは、しりもちをつき慌てて逃げ出した。約束通り大小様々な木の実を大量に残して。
 だけど、許すも何も、負けたら持っている食べ物を差し出すという以外は何のルールもない。
「慌てて逃げることもないのになぁ」
 私はそう呟いた。たまにそういう奴がいるのだ。特に、ガラの悪い奴。一撃で倒されてしまったことがそんなにショックだったのだろうか。
 脇で見ていた一匹のエーフィが、身体を躍らせながら私に寄ってくる。
「いやーさすがライ先輩! 相変わらずお強いですねぇ」
 フィオーレと名乗るこのお調子者は私のことを褒めつつ、私より先に木の実をがっつき始めた。あんたは何もしていないだろうが。きっと睨んでみても、こいつは意にも介さない。エーフィは空気の流れを読めると聞いたが、こいつの図々しさを見ていると嘘なのではないかと疑いたくなる。
 リングマから勝ち取った木の実を近くの木まで運び、寄りかかったところでようやく一息ついて、木の実を口に放りこむ。運動をした後の木の実は、普段より格段に美味しい。
「私が強いんじゃなくて、周りが弱すぎるんだよ」
 私はフィオーレに言い返す。
「そんなことないですよ。あのリングマも結構やる方だったと思いますよ」
「そうかなぁ」
 私は首を傾げた。あのリングマだって、多分に漏れず、一撃で倒れてしまったではないか。
「それにしても、ライ先輩ってやっぱり有名なんですねぇ。この集落に入った時も、みんなすぐにライ先輩だって分かってたみたいですし。カントー、ジョウト辺りで知らない野生ポケモンのグループはいないんじゃないですかね。バトルで負けなし、最強と呼ばれた旅ライチュウのこと」
 ふん、と私は言ってやった。
 私は自分の力を試すべく、強い相手を求めて各地を旅している。相手のやる気を引き出すために、布に巻いて持ち運んでいるポロックと、相手方の食料を賭けて戦うのだ。今のところ、私は負けたことがない。どいつもこいつも弱すぎるのだ。考えてみれば、生きるだけでほぼ精一杯の野生界で競技としてのバトルなんか楽しんでいる余裕はない。
 ふと上に動くものがあったので、そっちに顔を向けた。何かと思えば、木の枝にしがみついていたコラッタが、一瞬脚を踏み外したらしい。急いで枝につかまり直し、両手両足に力を込めてこちらをじっと見つめる。非常に警戒している。私たちが彼らにとってどういう存在なのかを考えたらすぐに分かることだ。言わば、暴力的な力を持った侵略者。私たちが怖くて降りられない、と言うのは想像がつく。
 周りをよく見ると、コラッタだけではなかった。葉の陰から、木の陰から、私たちに視線が向けられている。このライチュウは、どんな危害を我々に加えるのか分からない。そういう疑いと恐怖の視線だ。
 私は小さな木の実を一つ選び、木の枝の上に投げて乗せた。
「それ、あげるよ。怖がらなくていいよ」
 そう言って、私は立ち上がる。まだ木の実は沢山あったが、両手に一つずつ持つだけにして、私はその場を去る。
「あれ、もう食べないんですか?」
 後ろからついてきたフィオーレが言う。
「あんなに視線あったら、気まずくて食べてられないよ。もうお腹もいっぱいだし、これ以上はいらない」
 振り返らずに、私は答える。いくら勝ち取ったとは言え、こちらが貰い過ぎても、野生のポケモン達が困るだけだ。一介の旅ライチュウには、重すぎる。
「まぁライさんの噂は『負けたらコミュニティ内の食べ物を全部盗られて、小さなポケモンもさらわれる』っていう広がり方までしてますからねぇ」
「はぁ?」
 私は振り返った。そこまでしたことは一度たりともない。あってたまるか。
「噂って怖いもんですよ」
 これじゃあ本当にただの暴君じゃないか。私はため息をつく。
 本当にこんな生活を続けていても、意味はあるのだろうか。ただただ悪名を広げて回るだけの旅で、私は何を得られると言うのか。私はここのところ、この旅路の先が見えなくなってきた。

 ジョウト地方からカントー地方へ、シロガネ山のふもとに沿って南下していく。そろそろ真南はトージョウの滝だろうか。日は沈みかけている。あっちは西。太陽を右手に、空を見上げた。
 太陽が沈み、山に隠れる。鳥ポケモンが頭上を飛び交い、私もフィオーレの姿も影に近くなる。人間の手の入っていない森の中には、電気は一切通っていない。日が落ちれば真っ暗だ。
 今日の旅はここまでだ。私たちは手頃な樹のそばで眠ることにした。
「そう言えば、ライ先輩」
 フィオーレが口を開く。
「何」
 私は目を閉じて言った。
「ライ先輩って、どうして旅をしてるんですか」
 私は返答に困った。それだけは、思い出したくない嫌な思い出なのだ。
 フィオーレの言葉を聴こえなかったことにして、無視を決め込んだ。
「ねぇ、ライ先輩」
「私知りたいんですよ」
「ねぇ、教えて下さいよ」
 フィオーレは一呼吸置きに言ってくる。うるさい。ここまで騒がれては、さすがに眠れない。何だかんだ言いつつ、私は結局このエーフィのわがままには逆らえないのかもしれない、と肩を落とした。
「しょうがないなぁ。話すからさ、黙ってくれないかな」
 眠りの世界と現実の狭間で、私の頭はふらふらだった。眠い目を擦りながら、私は何から話そうか考える。
 フィオーレは、黙ってくれという言葉を忠実に守っていた。その調子の良さに、妙に腹が立つ。一つため息が漏れた。
「私もね、元々は人のポケモンだったんだよ」
 私は一呼吸置いて、話し始めた。


 2

 私はトキワの森で生まれた、ごく普通の野生のピカチュウだった。
 元気にあちこちを走りまわるようになり、そろそろ自立しようかという時に、ヒトカゲを連れた人間と出会った。彼の名前を、レッドと言った。赤い帽子がトレードマークで、いつも深く被って、あまり自分の目や表情を見せない人だった。マサラタウンから来た、と彼は言う。
 つい最近旅に出たばかりで、これからポケモンリーグに挑戦するためにジムバッジを集めに行くそうだ。私はそのヒトカゲに次ぐ、二番目のパートナーとなった。
「これからもよろしくな」
 入れられたボールから出されて、もう一度握手を求められた。ピカチュウは尻尾で握手する。私は尻尾を出して、彼につまませた。彼の顔は良く分からなかったが、口元の笑みを浮かべたのを見て、この人と一緒ならきっと楽しくなるだろう、と予感していた。
 仲間のしるしだ、と言って、レッドは小さな首飾りを私にかけてくれた。レッドの手持ちには、全て同じ首飾りがぶら下がっている。
 レッドは勝利に貪欲な男だった。と言うより、負けるのがとことん嫌いだった。
 彼の頭の中にはありとあらゆるポケモンの知識が入っていて、勝負の前には緻密な戦略を練り、考えられる全ての状況を考えてから戦いに挑む。そんな彼のやり方が功を奏し、一度たりとも負けることはなかった。
 レッドに鍛えられた手持ちの中で、とりわけバトルの腕を上げたのは、ヒトカゲと私だった。ヒトカゲは彼の最初のパートナーでもあり、レッドの考えをいち早く見抜いて忠実に実行することに長けていた。私は私で、戦闘や電撃の扱いのセンスがずば抜けていることに気付き、バッタバッタと相手をなぎ倒していった。
 やがて、私とヒトカゲ(二匹とも進化して、ライチュウとリザードンになった)の間にも、力の差が見えてくるようになった。リザードンが少しつまづくようなバトルでも、私は平気な顔して勝つことができた。強い敵と戦い勝つことが、私の喜びだった。身体を動かすことは好きだったし、何よりレッドが褒めてくれるから。「レッドと言うトレーナーに、ライチュウを使われたら勝ち目はない」。カントーのトレーナーの間に、そんな噂が流れ始めた。
 最後のジムに挑む頃だっただろうか。私はあるバトルのアイデアが浮かぶと同時に、ふと疑問に思った。ポケモンはトレーナーの指示に従い、自らを鍛え、戦う。――本当にそれでいいのだろうか。
 レッドのトレーナーとしてのやり方は、ポケモンの全てを管理しきっている。裏を返せば、ポケモンに自分で考える自由が与えられていない、と言うことにはならないだろうか。
 そう思った瞬間、私は何もかもが急に息苦しく感じられた。私は縛られている。このまま、彼の行く道を、黙ってついていくだけ。私が勝負に勝つんじゃない、レッドが勝負に勝つんだ。私でなくても、きっとレッドは勝利を掴むだろう。じゃあ、私って一体何なんだろう。急に全てが分からなくなった。
 一度、自分にバトルの全てを任せてほしい、と言ってみようと思ったが、すぐに諦めた。どうせ、彼は受け入れてくれないだろう。自分が全てを管理しなければ気が済まない。旅をしていくうちに、彼のそんな性質が浮き彫りになっていく。私にはそれが嫌で嫌でたまらなかった。
 出来る限り気付かれないように、バトルに影響しないように、私は隠し続けた。相変わらず、負ける事はなかった。
 カントー地方のナンバー1を決定する、ポケモンリーグ。チャンピオンロードを抜け、会場のセキエイ高原に辿り着いた。大会が始まって、会場が盛り上がっても、レッドも私たちもさほど緊張せずに一回戦をあっさりと勝ち抜いた。
 その晩、思い切って私はレッドに、自分の思いを打ち明けてみた。一度だけ、自分の考えた通りにバトルさせてくれないかな? そう、彼の神経を出来るだけ逆なでしないように言ったつもりだった。
「俺が一度でも間違ってたことがあるのかよ」
 だけど、レッドは私を怒った。馬鹿なことを言うなと、ぴしゃりと言いつけられた。
 事実、彼は間違わない。彼の言う通りにしていれば、負けはしない。その正しさが、彼の強さであると言うことは、誰もが認めるところだった。しかしそれが、私の心を締め付ける。
 2回戦。3回戦。私はレッドの指示通りに行動し、相手のポケモンを翻弄し、撃墜していく。
 そのたびに、身体の底から苛立ちを感じた。違う、私がやりたいのはこんなことじゃない。こんな戦いじゃ、何にも楽しくない。倒れてモンスターボールに戻っていく相手のポケモンを見ながら、そんなことを考えた。戦いが終わり、控室に戻るたび、自分の思う通りにやらせてくれと、同じことを頼もうとして諦める。きっと何度頼んでも、同じなのだろう。一度でいいのに、一度でいいのに、一度でいいのに!
「今日の動きは、粗っぽかったぞ。勝てたからよかったけど……もっと丁寧に動いてくれよ。分かったか?」
 レッドがこの一言を放った瞬間、私の中で怒りの糸が切れた。心の中がどうしようもない気持ちでいっぱいになり、行動を決意する。
 準決勝の前夜、全員が寝静まった頃、私はこっそりモンスターボールから抜け出し、ポケモンリーグから脱走した。かばんの中から取り出した、どこかで貰ったポロックケースを布に包んで。
 その後、レッドがどうなったのか、私は知らない。それから一切、彼と関わることもなく、思い出すことさえしなかった。


 3

「……まぁ、こういういきさつで旅をしてるってわけ」
 意外と、細かいところまで思い出せてしまったことが、私は悔しかった。レッドの仏頂面を思い出すだけで、ポケモンリーグ前のあの怒りが甦ってくる。
 一人旅を始めてから、身の上話を聞いてくるポケモンなんて誰もいなかった。だから心にふたをすることは簡単だったし、毎日バトルのことだけ考えていれば良かった。
 あれから3年が経過している。今もし、レッドに会ったら何と言われるだろうか。想像しようとしたが、さっぱりだ。逆に、レッドに会ったら何と言ってやろうか。それを考えても、特に何も思いつかなかった。実際に会ったら、何か言うことが見えてくるのかもしれないが、会うなんてことは万が一つにもないだろう。
 そう言えば、途中からフィオーレの相槌は一切なくなった。私は彼女の方を向く。
「ねぇ、聞いてる? って、寝てるし」
 横にいるフィオーレは、身体を丸めて完全に眠っていた。話に夢中になって、全然気付かなかった。いつから寝ていたのだろうか。もしかして、これは話し損か?
 仕方がない。暗い気持ちを晴らすためにも、私はさっさと寝てしまうことにした。

 次の日の朝、日の出と共に目が覚める。大きなあくびを一つして、フィオーレを踏み起こし、また歩き始めた。
「あれ」
 ふいに、フィオーレが空を見上げて呟いた。私もそれにならう。
 雲の少ない青空に、大きな鳥が飛んでいる。その影は段々大きくなり、それは鳥ではないことに気付いた。鳥と言うより、竜に近い姿をしている。
「リザードンですかね」
 本当だ。リザードンを野生で見る事は殆どない。あれはきっとトレーナーを乗せているのだろうと推測した。
 そんな様子を眺めているうちに、気付くことがあった。そのリザードンは、明らかにこちらに向かって飛んできている。顔の形でさえ判別できるほど近づいたところで、彼のぶら下げてる首飾りに気付いた。

 まさか、このリザードンの背中に乗っているのは。

 瞳孔を開き、全身の毛が逆立つ。全身を電気が走り、一瞬にして一触即発の身体になる。
 リザードンが私たちから数メートルのところに着陸すると、背中から一人の男が降りた。赤い帽子を深く被った、私の良く知る姿。
「レッド」
 私は口から、彼の名前がこぼれた。彼はリザードンをボールに戻すと、私の方に一歩一歩近づいてきた。お互いの目が合う。私は彼を睨みつけた。
「どうしてここが……ってか、今更何をしにきたのさ」
 強い口調で、私は言う。睨んでみても、彼はまるで応えない様子で、一歩一歩歩みを進めてくる。
「昨日、連絡があった。お前がここにいるから、今すぐ来いって」
 記憶よりも、ずっと低い声でレッドは語りかける。心なしか、背も伸びている気がする。
「誰から」
 私は威嚇の姿勢を崩さず、聞いた。レッドは、すっと指をこちらに向けた。いや、私のほうではない。私の隣にいる、フィオーレを指さしている。
「フィオーレ」
「はーい」
 彼は名前を呼び掛けた。手を開き、彼女を招き入れるポーズを取る。
「こいつのこと、知ってるの?」
 フィオーレは、彼の呼び掛けに応えて、しっぽをぴんと立てながらレッドの元へ駆けよった。
「そりゃあ、俺のポケモンだからな」
 レッドは不敵な笑みを浮かべてみせた。私は驚きを隠せなかった。レッドがエーフィを持っていたことなんて、これっぽっちも知らない。
「お前がいなくなった後、仲間になった。テレパシーが使えるから、お前の居場所を調べてもらっていたんだよ」
「幸いライ先輩の名前は広まっていましたから、探し出すのにはそれほど苦労しませんでしたよ」
 フィオーレはレッドの脚に頭をこすりつけた。
 道理で、こいつが私のことを先輩と呼ぶわけだ。私の話は、大体知ってると言うわけだ。
「昨日ライ先輩のお話を聞いて、あなたがマスターの探しライチュウだって確信したんです。それで連絡させて頂きました」
 とどのつまり、私の口からレッドの名前が出るかどうかで、最後の確認をしたかったということだったのか。ぺらぺらと必要以上に喋ってしまって、恥ずかしい。
 問答をしているうちに、何だか怒りが冷めてしまった。それはとてもばかばかしいことのように感じてしまう。こいつらの策略にまんまとはまってしまったようだと、私は肩をすくめた。
 全身はち切れんばかりに溜まった電気は徐々に周囲に漏れて、逆立った毛並みも次第に元に戻っていた。
「それで、私に何の用があって来たの」
 私は投げやりな口調で聞いた。もしまた仲間に戻れと言われたら、困る。レッドと一緒に居たら、また私は彼に媚び、辛い思いをする気がする。かと言って、この生活を続けていても、先は見えない。
 そんなことを考えて嫌な気分に浸っていたが、彼の答えは全く別のものだった。
「ライ、俺とバトルしてくれないか」
 モンスターボールを一つ取り出して、彼はもう一度私に真剣な眼差しを向ける。

 私は彼を真っすぐ見つめ返して、頷いた。バトルなら、迷うことは何もない。


 4

「全力を尽くすよ。持てる手段を全部使って、お前を倒す」
 レッドは宣言する。極度の負けず嫌い。そう言うガツガツしたところは、改めてやはり少し嫌な感じを受ける。だけれど、勝負を挑まれる立場になって、何となく分かった。バトルに一切手を抜かないことは、相手に対する最大の敬意なのだ。私は、全力で戦いたい。レッドの言葉は、私に高揚感を与えた。
「……やってみなよ」
 私は口元にだけ、笑みを浮かべた。レッドを見据えて、一挙一動を見逃さない。
「いくぞ」
 ずっとレッドの隣にいたフィオーレが先発かと思ったが、どうやら違うらしい。レッドはボールを投げ、一匹目のポケモンを出す。光がシルエットとなって、私より小さな黄色い姿が現れる。そこにいたのは、ピカチュウだった。首から、何やら黄色い石のかけらのようなものをぶら下げている。
「初めまして、ライ先輩。ピカって言います」
 私の知らないうちに、レッドも新しい手持ちを増やしていたようだ。ピカは私に挨拶をして、不敵な笑みを浮かべた。
「うん、初めまして。宜しく」
 私は笑った。頭の中で、戦いのゴングが鳴り響く。私は再び、全身を電気の力で満たす。
「ピカ、かげぶんしん!」
 レッドが指示を出す。ピカの姿が二重にぶれ、三重にぶれていく。その数は加速度的に増え、三百六十度を同じ姿に囲まれた。レッドは指をさして、すかさず次の指示を送る。
「ボルテッカー!」
 全てのピカチュウが、私に向かって突撃してくる。なるほど、何処から来るか悟らせない戦法か。電気エネルギーをまとったピカチュウに、黄色い光が見える。全ての方向をぐるりと見渡して、本物を見破るほどの時間はない。前方に迫り来る黄色いエネルギーの塊を見据えながら、後ろの空気を感じ取ろうとした。
 だが、何か様子がおかしい、と思った。たかだかピカチュウの身体で、ここまで強い電気を出せるものなのか? 全身に、悪い電流が走る。私は補助技、こうそくいどうを使う。感覚を研ぎ澄ませ、一時的に身体能力を強化する。強化された脚力でもって、近寄ってくるボルテッカーの輪を飛び越えた。勢い余って、草はらの上を転がった。
 私が避けたことで、包囲するための分身は消滅した。相手の姿は一つに戻る。ピカは振り返って、私とまた対峙する。
「どうしてこんな強い電気を出せるかと、疑問に思ってるみたいですね。これですよ、これ」
 ピカは胸にぶら下げた黄色い石をを持って、前に出した。
「でんきだま、って言って、ピカチュウの電気の力を二倍に増幅させる効果があるんですよ。これさえあれば、ライチュウの電撃にだって劣らない」
 ピカは自信満々に言って、にやりと笑む。なるほど、道理でエネルギーが多いわけだ。
 レッドが自分の手持ちに与える首飾りには、それぞれのポケモンの良さを増幅させる道具がつけられている。私の場合、状態異常を治すラムの実だったが、使う機会は少なかった。道具持ちは、相手にとって厄介なものとなるのが普通だが、私には関係ない。それ以上の力でねじ伏せる。
「起き上がる隙を与えるな、ピカ! 追いかけ続けろ!」
 はいよっ、と答えると、ピカは再び私に向かって突進してくる。
 ピカがどう思ってるかは知らないが、彼の動きは私からすればそんなに早くない。私は前方に、ひかりのかべを張った。オレンジ色した半透明の板が、私の目の前に現れる。ピカは自信満々に叫ぶ。
「ひかりのかべじゃ、僕の技は止まりませんよ!」
「知ってるよ」
 私は答えた。
 ひかりのかべは、水や火や電気の進行を妨げるが、物理技などの固体は一切貫通する。ボルテッカーは物理技だから、身を守るにはミスマッチだ。だが、私の狙いはそこにはない。
 ひかりのかべは、一瞬のうちに長い槍状に変化した。生成された半透明の長い槍が、目の前に現れて、それを右手に巻きつける。自分の身体と密着させることに、意味がある。
 私はピカより速い速度で飛び込み、ひかりのかべの槍を強く振り抜いた。
 ピカの身体に触れた瞬間、ドン、と雷が落ちたような重たい音がする。通電。強い電撃を喰らわせた時に発生する音だ。
「が……ッ!」
 ピカの動きが、空中で止まった。そのまま勢いを失い、地面に倒れる。草の上に落ちる音が、ひどく無抵抗に響く。ピカの方を見なくても私には分かった。戦闘不能だ。
「戻れ、ピカ」
 ボールをかざし、レッドがピカを戻す。私はもう一度、軽く光の槍を振った。レッドは右腕を顎に当て、寸分の後に口を開いた。
「……なるほどね。ひかりのかべは物体を貫通してエネルギーは貫通しない。だけど、エネルギー自体の伝導率は高い。だから、ひかりのかべに電気を流せば、相手の身体を貫いて身体の中から電撃を浴びせられる」
「そういうこと」
 レッドの言葉に、私は笑みを浮かべながら頷いた。どんなに電気に耐性があるポケモンでも、身体の中から攻撃されてはたまらない。
 それに、電気技は強力なもので無ければ空気を伝って行かず、多くの場合近距離で攻撃するしかない。
 ひかりのかべを操れば、電気の弱点を二つも克服できるのだ。
 胸を張って言える。これこそが、私のやりたかった戦法。自分の感じたように作り上げた、私だけのバトル。
「さぁ、次は誰を出してくるんだい?」
 私はレッドにひかりのかべの電気槍の矛先を向けた。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-06-03 23:09 | 小説

MONK 後編

 4-2

 カビゴンのゴンは相変わらずのんきに構えてのしかかってきたが、素早い動きでかわした。技は喰らわなかったものの、種族自慢の体力はすさまじかった。首から下げられたたべのこしの効力もあって、槍を四回振るわねば倒せなかった。
 フシギバナのフッシーは厄介で、あらゆる植物を操って、近接を妨げてくる。一発入れるのに何度転んだか分からない。フッシーもその巨体によく似合う耐久力の持ち主で、植えつけられたやどりぎのたねに体力を奪われながら、三度目の槍でようやくギブアップしてくれた。するりとやどりぎは解けてくれたものの、これでもまだ半分だ。先は長い。
 カメックスのメックスには、苦労した。殻にこもって身体を守られると、槍が折れてしまった。全ての技を防ぐ技、まもる。何度も槍を生成し直し、攻撃するもまた槍の方が甲羅に負けてしまう。本当のところ、この技を連続で成功させるには相当な技量が要るらしい。二連続成功すればいい方だ。それなのにメックスは連続六回も成功させてしまった。
 攻撃しているのはこっちなのに、相性でも勝っているはずなのに、逆に追い詰められているような気分になるのはどうしてだろう。痺れてひっくり返ったメックスの姿を前にしながら、心の中に焦りが生まれる。
 今までレッドと戦ってきたトレーナーは、こういう思いを味わってきたのか。攻撃にも防御にも、一片の隙も見せないレッド。かつて出会ってきた対戦相手の強さの槍は、彼にちょっと動かれただけでことごとくへし折られていく。私も、今多くのトレーナーと同じ脅威を感じている。
 レッドは最初に言った。持てる手段を全部使う、と。彼は、手持ちの六匹を全部使うつもりなのだろう。ならば、これは根競べだ。心がくじけた方が負けなのだ。

 ラスト二匹。先に出たのは、リザードンのリザだった。
「よう、ライ。元気か」
「君達みんなタフすぎて、そろそろバテて来ちゃったかもねー」
 私はおどけて言ってみた。リザはふっとため息をつくように笑った。事実、そろそろ身体から電気を作るのが辛くなってきた。同じ威力で、せいぜいあと一、二回が限界だろう。私は深く息を吸い、乱れた呼吸を整える。全身から溢れんばかりの熱を感じる。冷たい空気と肺の熱気が混ざり合うのを感じる。
「飛べ、リザ!」
 レッドからの指示を受けると同時に、リザは羽ばたいて一気に空へと舞い上がった。
 空中に逃げれば手出しできないと踏んだか。かみなりのような巨大な電気を扱う技を使えば、遠く離れた相手にも電撃を当てることは出来ただろう。だが、あいにく私はそういう技を持ち合わせてはいない。電気技は10まんボルト一本だ。
「だいもんじ!」
 レッドが空に向かって叫ぶ。リザは口を開く。喉の奥から光があふれ、弾けそうになったところで口から高音の火球を放った。火球は私の方へととんでもないスピードで迫ってくる。瞬きするほどの刹那、こうそくいどうで出来るだけ遠くに跳んだ私は何とか直撃は免れた。
 だが、だいもんじという技はこのままでは終わらない。二段階の攻撃。地面に触れた瞬間、炎は五方向に広がる。炎の腕の一つが迫りくる。私はもう一度跳び避けるが、転倒してしまう。炎は自分の背丈よりも遥かに高く激しく燃え盛る。起き上がってみたものの、炎の方は熱に目を開けていられない。長く残る炎は、大技ならではのもの。直撃していたらと思うとぞっとする。
 私は空を見上げてリザの姿を探した。空中を大きく旋回している。
 もう一度攻撃される前に、こっちから攻めるしかない。攻め手はある。
 私は右手から、ひかりのかべを糸のように細く、細く、生成した。ある程度のところまでは生成にとても神経を使うので、大きな隙が生まれてしまう。炎で自分の身体が隠れている今しかできないことだ。
 細い糸を自分の身長の半分ほどまで作ったところで、一気に生成は楽になる。人間の言葉で例えるなら、スピードの乗ってきた自転車だ。後は加速度的に伸びていく。
 このオレンジ色の光の糸は、完全に私の思い通りに動く。蛇のように伸縮自在の糸だ。
「行け!」
 小さく叫んだ掛け声と共に、糸が空へと伸び飛んでいく。リザの飛ぶ方向へ、一直線だ。
「リザ、何か来てる! 急降下しながらエアスラッシュ!」
 あともう少しのところで、レッドが叫ぶ。この糸の存在に初見で気付かれるなんて。今まで想定もしていなかったことに、軽いショックを覚える。すぐに気を取り直し、糸に集中する。
 リザは頭を地面に向けて、高度を強引に下げる。私は糸を操り、更に伸ばしながらリザの姿を追った。高度を充分下げたリザは私の姿を捉えたらしく、鋭い爪で空気を切り裂き、刃を放つ。
 糸を操るのは集中力を要するため、高速移動との併用は今の私には出来ない。かと言って、折角作った糸を解除する訳にはいかなかった。空気の刃が迫る中、私に閃きが生まれる。
 伸ばした糸は、今もなお空中に残り続けている。今まで伸ばした軌道が全て固定されているのだ。そして今リザは、最初に一直線に伸ばした糸の真下にいる。つまり、これ以上糸を伸ばす必要はない。
 私は、糸を全て下に落とした。その軌道上にいたリザに、糸が触れる。その瞬間、私は思いっきり糸に電流を流しこんだ。通電。パァン、と弾ける音が響いて、くるくるとリザは地面に落ちていく。私は素早く糸を解除し、高速移動でその場を離れた。空気の刃が、元いた場所の地面を切り裂く。
 リザが地面に触れる前に、レッドはリザをモンスターボールに戻した。戦闘不能だ。
「あと一匹」
 私はひかりのかべを、再び槍の形に戻した。

 レッドは一切表情を変えなかった。まだ負けたとも、勝ったとも思ってはいない。そういう緊張感に溢れた顔をしていた。
 六匹目。ずっとレッドの足元にまとわりついていたフィオーレが、ついに前に出る。
「フィオーレ。後は頼んだぜ」
 紫色のしなやかな体が、ゆったりとした動きで近づいてくる。
 ある程度の距離で、フィオーレは立ち止まって腰を下ろした。
 その距離は、公式試合のフィールドに描かれているモンスターボールの図形を思い出させる。

「さすがライ先輩、本当にお強いですねぇ」
「そういうの、いらないよ」
 フィオーレには申し訳ないけれど、ジョークに笑えるほどの余裕は無かった。フィオーレは普段のように飄々とした顔をして、私の方を見つめた。
 まっすぐに行こう。相手の技を一度も受けはしなかったものの、持久戦により体力はもうあとわずか。自分の体力の無さを恨みつつ、少ない選択肢の中で懸命にシミュレートする。
 次の一発に賭けるしかない。私の心が、信号を出す。
 息を吐いて、こうそくいどうを自分にかけた。二度その場で飛び跳ね、確かに感覚が研ぎ澄まされたのを感じる。そして三回目、私はフィオーレの方へと跳んだ。風を切り、フィオーレの方へと駆ける。疲れのせいか、彼女の姿を捉えようとしても大雑把なシルエットしか見えない。彼女の姿はその場から動かなかった。それだけを確認して、私は気にも留めなかった。
 自分の身長大に伸ばした槍を、思いっきりフィオーレに突き出す。
 しかし。槍はフィオーレの体をするっと通り抜けた。勢い余って足がもつれ、天地がひっくり返る。一瞬、何が起こったか理解できなかった。
 電気の弾ける音と衝撃がない。電気が、流れていない!?
 フィオーレはその場から一歩も動かず、ただ胸を張って私の槍をただ受け入れていた。あたかも、攻撃は失敗すると知っていたかのように。
「今だ!」
 レッドの声が飛ぶ。いや、フィオーレの行動はそれよりも一歩早い。振り返って、紫色の目を光らせると、私の体は地面につくことなく、見えない大きな力で空に放り投げられる。無理やり加えられた加速度に体がついていかず、空気抵抗の洗礼を受けて自由を失う。
 視界は、虹色の光線が迫ってくるのを捉えた。しかし成す術無く、直撃してしまう。頭の中がぐるぐるとかき混ぜられて、脳が捻じ切れそうだ。ああ、目が回る。
 そして、自由落下。私は何の覚悟も出来ないままに、地面に叩き付けられた。ぐえっ、と今まであげたこともないような声が漏れる。
 あぁ、もう力が入らないや。ゆっくりと大の字になって、空を見上げた。形の崩れそうな綿雲が、目に見える速さで流れていく。
 戦闘不能。私の、負けだ。

 そのうち、レッドとフィオーレが駆けてくる。
「大丈夫ですか」
 心配そうにフィオーレが尋ねる。
「全身がすごく痛いや。やりすぎだよフィオーレ」
 私は文句のように言葉を投げた。
 だが、納得いくまで身体を動かせたせいか、やりたいことを全てやりきれたせいか、私の心は妙に満ち足りていた。
「ポケモンセンターまで連れてくよ。立てるか」
 レッドが手を伸ばす。にっ、と口を上げて笑った。彼がこんな顔をするのも珍しい。何となく、昔より表情が豊かになっている気がした。私は右手を伸ばす。茶色い手はがっしりと掴まれて、力強く引き上げられた。


 5

 最寄りのポケモンセンターに着くまでに、途中何度も休憩を取った。川の水を飲んで、歩ける程度には回復した。リザもげんきのかけらで体力を戻してもらったものの、本調子ではなさそうだ。空に橙と青が混ざる頃、ようやく辿り着いた。
 レッドはモンスターボールを六個、トレーに乗せてカウンターに持っていく。
「お願いします」
「かしこまりました。そちらのライチュウはどうなさいますか? 随分疲れてるみたいですが」
 受付がレッドはこっちを向いて、聞いてくる。ポケモンの体調を一発で見抜くのは、プロなんだろうなぁとぼんやり考えた。
「どうする?」
 私は首を振った。レッドに会えた今日だからこそ、話したいことがたくさんある。治療に当てるのは勿体ない気がした。
「構わないみたいです。こいつと会うの、凄く久しぶりなんですよ」
 レッドはそう伝えた。
「かしこまりました、それでは、こちらのモンスターボールだけお預かりしますね」
 そう言って、受付はトレーを持って裏手へと戻っていった。

「これ、飲むか」
 レッドが、ミックスオレの缶を私に差し出した。私の好きな味だ。両手で受け取ると、ひんやりとした鉄の感触が懐かしい。飲むのは随分久しぶりになる。
 ラウンジのベンチに腰掛けて、私とレッドは並んでいた。レッドは手に持っている缶コーヒーのふたを開ける。私も、歯を上手に使ってプルタブを空ける。かこっ、という音を聞くと、何だか彼と一緒に旅をしていた時のことを思い出す。
「やっぱりおいしいなぁ、これ」
 オレンジ色した甘いミルクの味が、口の中に広がる。タマムシシティの屋上で飲んで以来のお気に入りで、自販機を見つける度に同じものが売っていないかと期待していた。ポケモンセンター内ではよく見かけるが、道中では殆ど見ないということに気付いて、私はポケモンセンターに着くたびにレッドにせがんでいた。激しいバトルの後なら、必ず買ってくれた。
 しばらくの後、レッドはぼそりと呟いた。
「強くなったな、ライ」
 私はレッドの顔を見たが、レッドの視線は前のままで、その続きを話す。
「ひかりのかべと10まんボルトの複合技。それに、こうそくいどうによる身体強化。面白い戦い方を考えたな。俺じゃ絶対思いつかないし、仮に思いついたとしてもあそこまで完成度の高い技にはならなかっただろうなぁ」
 レッドは素直に感心しているようだった。私を見て、目を輝かせていた。でしょ、と私は胸を張る。
「でも、負けちゃったけどね」
 と付け加えて、苦笑する。
「そうだな。弱点はまだまだ沢山あるだろう」
 彼は私の言葉をくそまじめに解釈した。私がふてくされるよりも早く、レッドは言葉を続けた。
「今回俺が弱点だと思ったのは、回数制限だな」
 そう言われて、フィオーレに技が決まらなかった時のことを思い出す。そういえば。
「最後、フィオーレとバトルした時、私の技が上手く決まらないって分かってたの?」
 私自身、電気を放てるかどうか分からなかったと言うのに。レッドには確信があったのだろうか。私の疑問に、レッドは答える。
「普段バトルって長丁場になるものじゃないからあまり気にならないんだけど、ポケモンの技には使える回数に限度がある。10まんボルトの攻撃回数はどのポケモンも十五回までなんだよ」
「そうなの!?」
「逆に言えば、自分の電気の力を十五等分するようなパワーで打つのが10まんボルトって言う技なわけ。本人の意識に関係なく、ね」
 私は驚きを隠せなかった。初耳だった。六連戦なんて初めてのことで、今まで気にも留めたことのないことだった。
 それで、守りを中心にした戦いをしていたのか。私に技をたくさん発動させる為に。
「まさか、フィオーレと戦う時に十五回になるように調節してた訳じゃ……?」
「それは流石に、まさかだよ」
 私の疑いに、レッドは笑った。
「でも、技のエネルギーが消費された回数はしっかりカウントしていた。出来る限り早く技を十五回出させるようにはしたけれど、思ったよりお前の電撃が強かったから、全部使い切らせるのに五匹もかかった。正直間に合わないんじゃないかと、ヒヤヒヤしたよ」
 それでも、レッドは強い。彼のポケモンと戦略は難攻不落だと言う事を、相手にしてみて初めて実感した。

「そう言えば、レッド。ポケモンリーグはどうなったの」
 私はふと思い立って、三年前のことを聞いてみた。私は準決勝前日に逃げ出したから、結末を知らない。あぁ、と思い出したようにレッドは言う。
「準決勝で負けたよ。ドラゴン使いのワタルって奴に。ドラゴンタイプのポケモンの強さはケタ違いだったな。お前無しじゃ歯が立たない相手だった。打つ手なしさ」
 レッドは肩をすくめた。
「あの時はライがいなくなったことがショックで、三位決定戦にも全く身が入らなかった。それも負けてしまったよ」
 そう言って、コーヒーをすする。
「で、そのワタルをグリーンが倒して、グリーンがチャンピオンになった。でも、あいつはやりたいことが他にあるからってチャンピオンの座をワタルに譲ったのさ。それから三年間、ワタルがチャンピオンの座を守り続けているらしい」
 グリーンとは、レッドと同時期に旅に出たライバルだ。道中たまに勝負をしかけてきて、一度も私達に勝つことはなかったが、彼の中にはただならぬ強さを感じた覚えがある。話を聞いて、私は納得した。
「それで、レッドは三年間何してたの?」
「殆どシロガネ山に籠って修業してたな。俺のトレーナーとしてのやり方は、本当に正しかったのかが分からなくなって、さ」
 少し俯いた様子で、レッドは語る。レッドの戦いは、緻密に戦略を組み、それをポケモン達が忠実に実行するやり方だ。
「本当はもっと、ポケモン達に判断を任せるべきじゃないのか。その方が、よっぽど楽に戦えるんじゃないのか。そう思い始めたら、止まらなくなった」
 レッドの迷いの原因は、間違いなく私にあるのだろう。確かに、彼のやり方が気に入らなかったのは事実だった。でも、立場のせいだろうか、今ならあの戦い方を認められる気がしていた。それだけに、話を聞いているととても後ろめたい気持ちになった。
「俺は新しく、ピカとフィオーレを育てた。自由な発想を持って育ったポケモンが、バトルでどんな風に活躍してくれるのか。ピカは、あまり柔軟なタイプじゃなかったから途中で今までのやり方に戻したけど、フィオーレはまさに自由な発想をしたがるタイプだった。俺が指示を出さなくても、何をすればいいかは直感で分かってしまうらしい。だからこいつに関しては、具体的な指示をせずに自分で考えてもらうスタイルを取らせた」
 そう言えば私と戦った時も、レッドが出した指示はたった一言、「今だ!」だけだった。
「それでも十分、フィオーレは強かった。その時初めて分かったんだよ。そう言う奴もいるってこと」
 レッドは私を見て微笑んだ。私は思わず、目を逸らしてしまう。

「それから、結局俺はお前抜きだと何にもならない、ただのトレーナーだと言うことを思い知らされたよ。カントーとジョウトのバッジを全部集めたっていう男の子が来て、俺と勝負したんだけどさ、俺より年下なのに、かなり強くてな。ギリギリ、ラスト一匹の差で負けてしまった」
「うそ!?」
 私は思わず叫んでしまった。ポケモンリーグのことならともかく、レッドが普通のトレーナーに負けるところが、いまひとつ想像出来ない。私からすれば、彼は非の打ちどころのない完璧なトレーナーなのだ。一体どんな男なのだろうか。私は想像したが、レッドと似たような姿しかイメージ出来なかった。
「お前をもう一度探そうと思ったのは、それからさ。お前ともう一度会いたいと思って、フィオーレに探させた」
「そうだったんだ」
 私は言った。ずっと一直線に進んできた彼を、私のわがまま勝手で迷わせ、ひどく傷つけてしまった。そう思うと、胸が痛い。
 会話はここで途切れ、知らない人達の絶え間ない話し声が混ざって流れるだけになった。
 その時、私は自分の気持ちをはっきり自覚した。私はレッドのことを好きとか嫌いとかいう言葉で語れないほど尊敬しているということ。そして、レッドに対する怒りが、実は私自身への怒りだったということ。

「ねぇ」
 周囲の雑音の中、私は改まった。とても恥ずかしいけれど、言わなければいけないことがある。
「何」
「勝手に出て行って、ごめん」
 私は、言葉を噛みしめるように言った。
 言わなければ、いつまでもレッドに対して怒りを抱き、自分自身を許せないままになってしまうことが分かっていたから。きっとこれが、旅の途中で感じていた閉塞感の正体だろう。どんなに忘れようとしても、心の奥底で後ろめたさは消えていなかったのだ。
 一体、レッドに何を言われるのだろうか。どんな罵声だろうと、私は構わなかった。
 だけど、レッドの言葉はそうではなかった。親指を唇に当て、恥ずかしそうにしながら、
「俺の方こそ、悪かったな」
 と言った。
「お前がどれだけあのバトルをやりたかったか、今日手合わせして良く分かったよ。あの時、一度でもお前に任せたらよかった……いや」
 レッドは言葉を切って、少し考え込んだ。
「きっと、あれは俺の手を離れる時だったんだ」
 その言葉に、後ろめたさは全くない。そうかもしれない、と私は思った。きっと、一度試したところで私は満足しなかっただろう。もっとやりたい、という欲を募らせて、同じことを繰り返していただろう。
 彼の手を離れて自立することが、私には必要だったんだ。
「これでよかったんだよ。これで」
 彼は笑った。心の深い奥底にある栓が、ぽんと音を立てて抜けた。感情の流れが、一気に溢れ出しそうになる。私は俯いて、それを必死にこらえた。さすがにみっともなくて、レッドには見せられない。
「これで、よかったのかな」
「あぁ」
 レッドは頷いた。多分、私の声は震えていたかもしれない。だけど、レッドは見逃してくれた。
 ミックスオレの最後の一口は、特別甘い味がした。


 次の日の朝。ポケモンセンターで一泊し、出発の準備を整えて建物を出た。レッドはバッグからポロックケースを取り出して、お前にはこれが必要なんだろう、と大きな布に包んで渡してくれた。
「そう言えば、ライ、お前はこれからどうするんだ?」
 レッドは尋ねた。目的地は決まっている。
「最近知ったんだけど、ハナダの洞窟ってところに強いポケモンがいっぱい住んでるって聞いてさ。そこで力を試そうと思う。レッドは?」
「俺は、そうだな……いっそこの地方を離れようかと思ってる。今行こうと思ってるのはシンオウ地方だな。そこで、イチからトレーナーとしてやり直す。今の手持ちも全部預けて、全く新しい仲間と一緒に旅をしたい」
 それを語るレッドの目は、輝いていた。朝日のせいかもしれない。そうだ、と、私の中に一つ閃きが生まれる。
「全部預けるんだったらさ、フィオーレを貸してよ」
「フィオーレを?」
 レッドは聞き返した。私はゆっくりと頷く。
「うん。一人旅ってのも何だかさびしくってね。それに、いざって時は頼りになるかもしれないし。それに」
 言葉を切って、レッドを見上げ、いたずらっぽく笑う。
「いつかまた、あんたと勝負したいから。テレパシーで居場所が分かるんなら、いつでも会いにこれるでしょ」
 レッドは少し驚きの表情を見せたあと、ぷっ、と噴き出し、大きく笑った。私もつられて、笑い声を上げた。
「それもそうだな! よし分かった。こんな奴で良かったら、連れていけ」
 レッドはボールからフィオーレを出した。大きく伸びをする。
「フィオーレ。ライと一緒に旅をしろ」
 フィオーレは急に言われた言葉に驚いた様子で、えぇ!? と言葉を漏らした。
「今までずっとついて来たんだから、今更文句言うことでもないでしょ」
 と私は語気を強めて言ってみる。
「分かりましたよう、お供しますとも」
 呆れたようにフィオーレは言った。そんな彼女を見て、私とレッドは笑っていた。

 旅の途中なのに、何だか新しく旅を始めるような気分だ。お互い、それほど急ぎの用事ではない。気楽なものだ。
 レッドはリザをボールから出した。
「送って行こうか」
 レッドは聞く。私は首を振って答える。
「いいよ。自分の足で歩きたいんだ」
「そうか」
 レッドは言った。リザの背中に乗って、リザに羽ばたきを指示する。
「それじゃ、またね」
 私が言うと、レッドは歯を見せて笑った。
「次会う時は、三体だけでお前を倒す」
 言ったことは本当に実現してしまいそうなのが、この男の怖いところだ。
「……やってみなよ」
 私はレッドと同じ顔をしてみせた。
 リザが一気に上空へと浮かび上がっていく。そして、青空の中へとゆっくりと消えていった。
 旅の先にはレッドがいる。その先にも、きっとたくさんの強者がいる。
 私は、まだまだ強くなりたい。いつかまた会うその日まで、光の槍を折る訳にはいかないのだ。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-06-03 23:09 | 小説

人の下痢路を邪魔する奴は、


 思春期というもの、ルールなんてくだらない、破ってみたい、と一度は思うことがあるだろう。
 例えば、学校の制服とか、スーツとか。何でこんな30度を超す暑い日にわざわざ汗をかくような服を着なきゃいけないのだ。世の中の社会人たちもそう思っているに違いない。私服で来れたら幾分か楽なのに。そう何度思ったか分からない。
 うだるような暑さの中で、午前中の授業をしのぎ切る。斜め前に座っているヤツの貧乏ゆすりが激し過ぎて、集中なんて出来そうにない。だめだ、精神の限界。顔を伏せ、訳の分からない先生の授業からドロップアウトする。
 制服のワイシャツのボタンはほぼすべて外され、赤いシャツがモロ出しになっている。

「だがしかし」
 思わず顔がにやける。昼休み、いつもの穴場、音楽室で友人数名と飯を食った後のことだ。この時のために、おれはある仕込みをしていた。
「ツザッキー、独り言気持ち悪い」
「お前たちもちょっとつっつけばいいじゃん?」
 俺は水筒を取り出して、友人に見せる。
「さっきお茶を俺くれって言ったくせに、水筒持ってんじゃねぇか」
 貰ったのは事実である。
 もちろん、この中身はお茶ではない。かと言って、炭酸水でもない。
「水筒だからと言って、お茶とは限らないだろ」
「じゃああれだろ? 熱湯だろ」
「いや違うよ」
「ツザッキーまじヒヤッキーだわ」
「……!?」
 ポケモンの第五作が出てから髪型が似ているというだけで何故かそんなことを言われるようになってしまった。一年前はギャル男と呼ばれていたのに、何の因果だろうか。ギャル男もヒヤッキーも否定はできない。
「何? 熱湯かけて欲しいの?」
 満面の笑顔で言うと、
「ヒヤ顔やめて怖い」
 と返された。
 勿体ぶってみたくて、友人の質問には答えない。その代わり、かばんの中からビニールに入った紙コップを取り出す。友人たちはこっちの様子を少し気にしながら、会話をつづけている。そして、俺は水筒のふたを開け、コップにその中身を注ぐ。
 ででーん。
 勘違いしないで頂きたい。誰かのケツがしばかれる訳ではない。
 水筒から、シャリシャリとした音がこぼれてくる。
 そう。中身はかき氷だ。
「……」
 思ったより仲間うちの反応が薄い。ドヤ顔したかったのに、予想外で少し凹む。
「……食う? シロップもあるけど」
 そして、かばんの中から、赤のボトル、黄色のボトル、青のボトル、紫のボトル、緑のボトル、選べる五種類の味を取り出す。
「お前ガチかよ」
 ここで、ようやくみんなの笑いを一つ取ることに成功した。お前何やってんだよ、と笑われることで、自分のプライドを満たすというのは常套手段。無意味なことは、ふとした弾みでしてみたくなる。 無論、自分で食べたかったのもあるが。
「じゃあヒヤ君レモン貰っていいっすか」
「150円になりまーす」
 手を出そうとした瞬間、頂きまーすと言って高速で食われてしまった。
「で、何で持ってきたの」
「食べたいからに決まってるじゃんか」
 超がつくほど真顔で言ったら、どんだけ食べたいんだよ、というツッコミが入る。内心ガッツポーズだ。食べたいからと言うのは、半分本当だ。理由の一つでしかない。もう一つの理由が何かと言われたら、笑いを取りに行くためだ。お前芸人になれよ、と言われる時もあるが、それもなんだか違う気がする。
 思った通り、水筒で入れたらなかなかとけないものだ。底に少しだけ溶けた水がたまる程度で済んだ。他の友人たちは食べないようなので、後は自分一人で食べる。
「うん、うまい」
 その後、友人の提案で全部の味のシロップをごちゃまぜにされて一気飲みさせられたりもした。味は濃かったが、暑さは多少吹き飛んだ。甘い。

 五時間目は体育のバスケだ。水泳という選択肢もあったが、友人達はみなバスケ派だったので、流されてバスケを選択した。
 楽しいのはいいが、6限の授業で水泳帰りのクラスメイトの涼しそうな顔をみると、若干の後悔が残る。先公は何故ロッカーにあるシャワーを使わせてくれないのか。一度も使われているところを見たことがない。
 シューズをキュッキュキュッキュ鳴らしながら、ボールを追いかけ、自分のポジションを考える。自分にボールが回ってきて、ここぞとばかりに一気に相手のゴールへと駆け抜ける。ゴールの下でレイアップ。
 ゴールのカベに当たって、すっと網をくぐり落ちる。ピー! とホイッスルが鳴り響く。周りから軽い拍手が湧きあがる。そしてまたコートに戻ろうと、振り返る。

 その時だった。

 何だろうか、この違和感は。
 身体がどことなく落ち着かない感じ。こんなに暑いのに、冷や汗が出てくる。
 試合はもう少しで終わる。走っているうちに違和感は消えるだろう。顔に出さないまま、コートに戻って試合を続けた。
 自分のチームは何とか勝利を収め、違和感もなくなっていた。と言うより、勝負に盛り上がっているうちに、忘れてしまっていたのだ。

「ありがとうございました」
 授業が終わって、礼をして着替える。うちの高校は、体育館から教室まで、やたらと遠い。普通は隣接してたりするようなものなのだが、全速力で走っても教室まで1分はかかる、そんなレベルの距離がある。
 みんなで話しながら着替えたりなんかしていたら、あっという間に次の授業まで残り1分、なんてことも少ない。仲間うちの連中は全く学習せず、チャイムが鳴るというのに小走りで移動する。あぁ、教室に入ったらまた怒られるんだろうか。先公は軽く注意するだけだから、それほどダメージは無く、別に構わないのだが。足取りは少し重たくなる。
「お前ら遅いぞ。次からは気をつけろ」
 とぶっきらぼうな先公の言葉。今から数Ⅱの授業を始めます。起立、礼。
 体育の後に授業を入れるというのはどうなんだろうか。両手両足に乳酸が溜まって、頭もぼうっとしてくる。軽めの運動は脳にいいと言うが、体育の運動は「軽め」とは言い難い。
 学校の授業なんて無駄だらけだ。もっと色々やりようがあるのではないだろうか。それがどんなやりようかって? そりゃあ……
「……じゃあ宿題だったはずの問3の1~3を黒板に写してもらおうか。今日は……滝沢、田中、それから……津崎ー」
 急に名前を呼ばれて目が覚める。と言うより、俺はどうやら眠りかけていたらしい。
 手に汗がにじむ。宿題なんてやった覚えがない。しかも基本から大分飛んだ応用問題で、今アドリブで解けと言われても難しいものがある。何となく意味は分かるが、何となくにしか分からない。
(あ!)
 奇跡が起きた。
 ノートを見たら、問題の答えが書いてある。そうだ、思い出した。俺にしては珍しくやる気を出したあの時だ。一通りちゃんと解き切ったのだ。すっかり忘れていた。
 よかった。ほっと胸をなで下ろした。
 しかし、状況は一変した。
 気を緩めた瞬間、腹に冷凍ビームが直撃したような衝撃が走った。
 しまった、と思った。体育の授業の時に感じた違和感。体調不良。まさか、こんなところで腹を壊すなんて。
 何とか我慢して、この場をやり過ごさねば。チョークを持つ手が震えている。きれいに書くなんてことは考えず、とにかく自分にとって無理な動きにならないように字を書く。
 やたらと他のクラスメイトの記入音が鮮明に聞こえる。チョークで書いた際に落ちるほんの少しの粉にまで、意識がいく。
 どうする? 書き終わってから、先公にトイレに行きたいと素直に伝えるべきか?
 俺は心の中で首を振った。
 クラスメイトの仲間うちは、俺をヒヤッキー呼ばわりしたりすることから分かるように、俺をやたらイジってくる。今行けば後で何を言われるか分からない。
 奴らに気付かれないように、授業が終わってからこっそり行くことにしよう。
 何とか文字を書き終わって、席につく。
「はい、それでは答え合わせでーす」
 マズい。先公が何を言っているかが聞きとれなくなってきた。
 精神は一瞬の油断も出来なかった。頭の中で思考を続ける。授業が終わったら、どのトイレに突入するか。最短ルートはどれか。まず、教室を出て、左に行く。走ってはさすがにメンツってものがある。
 二つ分の教室を抜けた先のトイレのドアを開ける。入り口は取っ手が無いから、それを掴んで強引に曲がることは出来ない。自力で足にブレーキをかけ、押す。
 ドアを必要以上に開いて、壁にぶつけたとしても、仕方がない。そこまで来たら、なりふり構っている場合ではない。
 細かいタイルを抜けて、洋式の方のドアを開ける。扉は全部で確か3つ。
 一つは洋式。一つは和式。一つは用具入れ。洋式はどれだったか……そうだ、手前の方だ。
 頭の中で思考錯誤するなかで、一つだけ間違いを犯していると言う事に、俺はこの時気付かなかった。

 時間よ早く過ぎてくれ。そう願って、壁にかかっている時計を見る。
(あれから全然経ってない……!)
 俺は茫然とした。口は半開きになって、傍から見ればきっと情けない顔だっただろう(その時はそんなことを考えている余裕は無かったが)。
 時間が過ぎて欲しいと言うときに限って、全く進んでくれない。人生生きていればそういうこともある。例えば、小学校の時に出場した市のドッジボール大会。待ち時間が退屈で退屈で仕方が無かった覚えがある。
 うっ、と、また便意の波が来る。これは冷凍ビームどころではない。ふぶきか。あるいはぜったいれいどか。
 何とか耐えしのいでくれ、俺の腹。
 机に突っ伏して、そのまま時間が過ぎて行くのを待った。

 チャイム。
「キリもいいし、今日の授業はここまでにします。終わります」
「きりーつ」
 委員長の声。立つということ自体がすでに刺激である。
「礼っ」
 ありがとうございました。
 元々みんなだらけた礼をするから、別段おかしく思われたりするようなことはないだろう。
 ウチの学校はHRを昼休み後に行うので、6限の授業が終わればもう帰ってもよいことになっている。せめてもの救いだ。
 焦るな、あまり教室内で走ってはいけない。今はみんな下校用の鞄を持って立ちあがっている。
 こんな時の為に、教科書の類は授業中すでにカバンの中にこっそり詰めていた。みんなが話をして教室に留まっているうちに、先に抜ければいいのだ。
 さあ、出る。出しに行く。授業中何度もシミュレートした通り、カバンを担いで教室を出て、左へ曲がる。押して開ける扉を押して、お手洗いへ直行する。

(何だよ……そんなのアリかよ)
 俺は絶望した。
 トイレのドアが、全て閉まっていた。先客。畜生、やられた!
 力が抜けそうになるところを、カバンを持つ手を握り締めて何とか我慢をキープする。
 何故この状況を想定しなかった、と自分に喝を入れる。
 しかし、腹を下している人間にとって、立った状態でじっと待つことは何よりの苦痛だ。どうする、等とは最早考えない。
 歯を食いしばって、トイレを出る。
「おーい、ヒヤくーん」
 後ろから友人の声。津崎からツザッキーに、ツザッキーからヒヤッキーに、そしてヒヤくんと呼ばれる俺は一体何なんだろうか。とてつもなく固い苦笑いを、友人に向ける。
「何か今日急いでるな。腹でも冷えたんじゃねーの?」
「……まぁ、そんなところだ」
「ヒヤくんマジヒヤッキーだな」
 と言ってドヤ顔をしてくる。どういう意味だかさっぱりわからない。いや、そんなことより俺はトイレに行きたいんだよ。
「それじゃ、またな」
 何とか声を振り絞り、手を振って友人と別れる。
 どうする……!? 正門に向かいながら、俺は必死にシミュレートを繰り返す。
 ここから確実にトイレにありつけるのは、残すところ職員トイレのみ。しかし、入って先生方に見つかってしまった時の気まずい雰囲気を味わうのは、恥ずかし過ぎる。
 俺が教師の事を先生方なんていうなんて、相当精神が参っているな。
 家までの距離はおよそ300m。これくらいなら、走っていけば何とかなるかもしれない。俺は覚悟を決め、走って我が家を目指した。

 俺は走った。ひたすら、アスファルトの道を走った。
 公園を抜け、見慣れた家の横を一軒、また一軒と過ぎて行く。オレンジ色の夕日が、妙に冷たく感じられる。
 下校する生徒が何人もいたが、そんな奴らは追い抜かす。呑気にペチャクチャ喋りながら帰ればいい。俺はトイレに行きたいんだよ。邪魔さえしなけりゃ。
 あとこの大きな道路を渡れば、我が家のあるマンションだ。本来はもう少し右にある信号を渡らなければいけないのだが、まっすぐ行くのが最短ルートなのだ。しかし。
「おいおい」
 いつになく、多くの車がスピードを出して抜けて行く。こんな時に限って。小さく足踏みをしながら、車の流れが途切れるのを待つ。
 7台、8台、9台……いくらなんでも多すぎる!
 本当に限界が近い。10台目の車には、申し訳ないが手を上げて渡らせてもらった。赤い車は急ブレーキして、クラクションを鳴らした。構っている暇はないので、俺は振り返らずに走り続ける。

「ハァ、ハァ」
 やっと着いた。我が家のあるマンション。エレベーターの上ボタンを押し、降りてくるのを待つ。ボタンの上の回数表示を見ると、今上の階へ上昇中だった。
(早く、早く降りて来い)
 せめて、今乗っている人が低い階の住人であってくれ。
 だが、俺の願いもむなしく、最上階の12階までしっかり上がって行った。頼むから、早く降りて来てくれ。何度も心の中で呟いた。
 数字が一つずつ、同じテンポで減って行く。7、6、5。
(よし、そのまま)
 今日はとことん思い通りにならない日らしい。エレベーターは5階で停止している。誰だか知らないが、早く降りてきてくれ。いよいよ本格的に尻を締めなければいけないレベルに達している。腸の内部ではもう抑えきれない。呼吸が乱れている。それは走り疲れただけじゃないことは間違いない。
「こんにちは~」
 小さい子供を2人連れたお母さんが降りて来た。子供を抱えながらベビーカーを押すのに苦労している。重労働だ。
 俺は軽く会釈する。口を開ける元気でさえ、もう残っていない。
 7階、7階。7のボタンを探す。手が震える。少しでも意識を向けてしまってはいけない。もう少しの辛抱だ。
「あっ」
 押し間違えた。7の一個下についている、5階のボタンを押してしまったのだ。



 その弾みだった。腸の中で、絶望の音が聞こえた。ダムの決壊。じわれ。つのドリル。ぜったいれいど。
 終わった。
 それ以上の言葉は出てこなかった。
 悲しい気持ちはなかったのに、なぜか涙が溢れそうになった。
 扉が開かれた時、太陽の眩しさが目に直接入って、思わず目を閉じた。
 せめて、職員室トイレに入るとか、授業中に手を上げるとか、成り振り構わない行動を起こすことができたら。
「終わった……何もかも」

 ヒヤッキーは倒れた!
 ツザッキーはもう戦う術が残っていない!
 ツザッキーは目の前が真っ白になった!
[PR]
by junjun-no2 | 2011-02-27 01:30 | 小説

不思議なあの子は素敵なこの子 前編

冬企画:テーマ「もう一度」

 マサゴタウンのナナカマド研究所。ここがそう言う名前だと知ったのは、ずいぶん大人になってからのことだ。小さい頃のぼくにとっては、生まれて育ったところ、というだけだった。
 いろんなポケモンたちがいるけど、みんなぼくと同じくらいの年頃。
 お母さんやお父さんはいなかった。代わりに人間の研究員さんたちが、僕たちのことをずっと見てくれている。それから、お守りをしてくれるフローゼルおばちゃん。
「もう少ししたら君たちも大きくなって、トレーナーさんと一緒に冒険するんだ。こことはお別れだけど、きっと大丈夫。早く大きくなってね」
 人の言葉はずっと聞いているから何となく分かる。ある日、研究員のお姉さんは僕にそう言い聞かせてくれた。
 研究所の中のモンスターボールがぼくの部屋、ってことになる。朝になったら起きて、みんな外で遊ぶ。研究所を出れば公園みたいな広場があって、小さなポケモンたちが遊べるようになっている。砂場にジャングルジム、でっかい機関車、滑り台、なんだか登ってみたくなるオブジェ。
 一日中、ここの公園で遊んで、日が暮れたらごはんを食べて研究所のボールの中に帰る、そんな毎日を繰り返していた。
 ぼくもいつかは、ここを離れて、旅に出る。森までかな。山までかな。それとももっと、遠くかな。
 遠くに見える山を眺めて、たまに思いを馳せていた。

「なぁなぁ、これどこまででっかくなるかな」
 ヒコザルくんが嬉しそうに息を荒げて、砂場の山をぼくに見せた。木の枠で囲まれて、少しへこんだ砂場。その真ん中に、ちょっと分かるくらいの小さな山が作られた。乾いた周りの土と違って、掘り起こした黒い土だ。
「ポッチャマもでっかくするの、手伝ってよ」
 ヒコザルくんは指のある手で土の山を指して、ぼくに言う。
「いいよ」
 そう言って、ぼくはぺたぺたとヒコザルくんの後を追う。ヒコザルくんにはかなわない。ぼくはあんなに早く走れないから。
「じゃあ、おれはこっちの土を持ってくるから、ポッチャマはそっちな」
「うん、分かった」
 僕は頷いて、足元の土をかき集める。ぼくの手に指はないから、何かをすくったりするのはちょっとむずかしい。とりあえず、土を掘ってみる。後でどうすればいいかなんて、思いつかないけど。
「ふう」
 一息ついて、ふと顔を上げたら、知らない子が立っていた。水色の体に、大きな耳と、黄色い目。四本足なのは、友達のナエトルくんとちょっと似ているかもしれない。砂場のすみっこのほうで、こっちを見たり、目を逸らしてみたりしている。どうしたんだろう。
「おい、ちゃんと掘れよ」
「あ……う、うん」
 ヒコザルくんがきいきいと大声を上げる。ぼくは思わず気の抜けた返事をして、また掘り始めた。やっぱり、ヒコザルくんにはかなわない。怒ったら、うるさいんだもの。
 しばらく掘ったところで顔をあげると、まだあの子はそこに立っていた。そろそろと砂場に降りて、申し訳なさそうに脇でひとり、前足で砂に絵を描いて遊び始めた。
 ぼくの両手はいつのまにか止まっていた。気がついたらあの子のことをぼうっと見つめていた。
 フローゼルおばちゃんが優しい声で言い聞かせてくれたことがある。どんなときでも、みんなで仲良くやるんだよ。
 いま、それを思い出した。

「ねぇ」
 僕は声を上げてあげてみる。恥ずかしくって、声が上ずったかもしれないけど、しっかり息を吸い込んだ。
 あの子はこっちを向いてくれた。
「一緒に遊ぼうよ」
 心臓がどきどき言ってる。断られたらどうしよう、と思って、体が固まった。あの子の目を見て、動けなくなってしまった。
 でも、あの子の顔は、ぱぁっと明るくなって、
「うん」
 って返事をしてくれた。
 明るくて優しそうな声。こんな声なんだ。ぼくの胸の中まで明るくなっていった気がした。
「今ね、砂でおやま作ってるんだ。一緒に大きくするの、手伝ってよ」
「分かった。土掘るのは任せて」
 金色の目をぱっちり開いて、自信満々にあの子は言った。前足で土をかいて、山にかぶせていく。あっと言う間に、あの子の足元の土は随分深くまで掘られてしまった。
 あの子の体は全身水色だと思っていたけど、水色なのはお腹の辺りまでで、それより下は黒に近い灰色をしていた。ちょっと驚いて見とれていると、顔に土がべしんと当たって、ヒコザルくんが笑いだしそうになっていた。ぼくはちょっと不機嫌な顔をした。でも、土がシャワーのように掘り出されていく様子が面白くて、すぐにまたそっちに目を奪われた。
「すごい」
 一度に同じ方向から土をかぶせたから、少し縦長になっちゃったけど、それでも山は目に見えるほど大きくなった。
 前足を半分くらい真っ黒にしたあの子は、ふう、と一つため息をついて、しっぽをふっと揺らした。
「こんなもんかな」
 ぼくはくちばしをぽかんと開けて、その場に突っ立っていた。水色のあの子の姿が、どういうわけかきらきら輝いて見えた。
「すごいすごい! もっとやってよ」
 僕は自然と声を上げて、あの子に顔を近づけていた。
「いいよ、今度は……こっちからやろっかな」
 ちょっと場所を移動して、後ろを向いて前足で掘って行く。黒い土が宙を飛んで、ぼた雪のように砂山に積もっていく。
「わぁ」
 ぼく思わず声を漏らした。
 砂場のそばで、ボール遊びをしている子たちが騒いでいる。ちょっと近くの方で、おーい、俺も混ぜてくれよ、と言う声が聞こえた。ふと横を見ると、ヒコザルくんがいつのまにか、いなくなっていた。
 でも、水色のこの子と一緒にいたくて、気づいていないふりをした。

「あぁ、疲れた」
 四回ぐらい穴を掘ったところで、あの子も息が上がっちゃって、腰を下ろすしかないみたいだった。
「すごいよ、きみ! それ、どうやってるの?」
 ぼくは聞いた。水色の子はなんだか不思議そうな、でもちょっと誇らしげな顔をして、ぼくの方を見つめた。
「カンタンだよ。ほら、こうやってさ」
 山に背中を向けて頭を下げると、足元から土が飛び出してくる。ぼくも真似をして、後ろを向いて、頭を下げて両手の羽で土をすくって後ろで投げてみた。ぽいと軽い力で土は飛んでいくけど、あんなに早くはできない。
「ちがうよ、こうだよ」
 あの子がちょっと不機嫌な声で手本を見せてくれる。ぼくも力を入れて両手の羽を強く動かしてみるけど、やっぱり上手くいかない。
「だから、もうちょっと足を……」
「わぁ」
 あの子が喋ってる途中で、僕は大声を上げてしまった。あの子の後ろに、とても大きな、黒い毛に覆われたポケモンが立っていたから。
「コリンク」
「あ、ママ」
「もう、勝手にどっか行って。探したんだから」
 こんなにでっかいのが、この子のお母さん。それに、この子の名前、コリンクって言うんだ。
 僕はそんなことを考えて、お母さんのことを見つめるコリンクを見ていた。
「こんなに前足汚しちゃって、もう! ウチでキレイにしないと。帰るよ」
 コリンクのお母さんはコリンクの首根っこをくわえて連れて行こうとした。だけど、
「やだもん」
 とコリンクは首をぶるぶる振った。コリンクのお母さんは肩を落として、ため息をついた。
「そんなこと言っても、もう夕方だし、真っ暗になっちゃうよ」
 うー、と唸って、コリンクは下を向く。
「また明日もあるんだから、今日は帰る」
 コリンクのお母さんはそこまで言うと、コリンクも諦めたらしくて、しょげた顔で僕の方を見た。
「……バイバイ」
「バイバイ」
 半分反射的に、ぼくも同じ言葉を繰り返した。
「バイバイ、ちゃんと言えたね」
 コリンクのお母さんは、少し笑って、コリンクの首根っこをくわえて持ち上げようとする。
「ちょっと待って」
 コリンクはぼくの方に近寄って、前足を出した。
「ママが言ってた。ニンゲンの子供は、お別れする時ゆびきりげんまんって言うのをするんだよ」
「へぇ、どうやるの?」
 初めて聞いた。ぼくは興味しんしんで、コリンクに聞く。
「キミの指とわたしの指を合わせて」
 そこまで喋って、コリンクは言葉を止めた。ぼくの手に指はない。
「じゃあ、これでいいや」
 コリンクは笑って、手のひらと羽の先っぽを合わせる。ゆびきりと言うより、握手みたいになった。
「明日もきっと、会えますように。ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます! ゆびきった」
 コリンクは高らかに歌い上げて、僕の羽から前足を離す。コリンクのお母さんに帰ろう、と言って寄り添った。
「じゃあ、バイバイ」
 振り返って、またどこかへと歩いていく。たぶん、コリンクのおうちに帰るんだろう。ぼくは追いかけようとして、一歩だけ前に踏み出した。それから、すぐに諦めた。
「バイバイ」
 ぼくはもう一度呟いた。
 その時、胸の奥がじんわり熱くなってきた。どうしよう、とめられない。
 我慢したけど、涙が溜まって、ぽろん、ぽろん、と落ちていった。
「バイバイ」
 明日もきっと、会いたいな。

 夜ボールに入って眠る前、研究所に敷いてある毛布の上で、フローゼルおばちゃんに今日のことを話した。
「コリンクがうちに来てね、一緒にお山作ったんだ。すごいんだよ、穴掘るのすっごい早いんだよ」
 話してるうちに、ちょっと盛り上がってきてしまって、気付かないうちに手足をぶんぶん振り回していた。
「うんうん、そうかい」
 ゆったりした口調で、フローゼルおばちゃんは相槌を打って、頷いた。
「新しい友達が増えたんだねぇ」
 ぼくはなんだか誇らしい気持ちになった。
「でもね」
 フローゼルおばちゃんは小さな指を立てた。
「どんな時でも、みんなで仲良くやってほしいと、あたしは思うんだよ。ポッチャマ、その子と遊んでるとき、最初に遊んでたヒコザルはどうしてたのかな?」
 あ、と声を出しそうになった。ぼくは思い出して、しまった、と思い直した。
「……全然、なんにも」
「おかまいなし、だったんだろう」
 ぼくは頷いた。途中からヒコザルくんのことを完全に無視して、コリンクにばっかり夢中だった。ヒコザルくんに、なんてことをしてしまったんだろう、と自分を責めたい気持ちでいっぱいになった。フローゼルおばちゃんの手が、僕の頭を撫でた。あったかい手だな、と思った。とん、と軽く叩くと、またフローゼルおばちゃんは喋りだす。
「……明日、ヒコザルに会ったらちゃんと謝るんだよ。昨日はごめん、って。いいね」
「うん」
「さ、今日はもう遅いから、寝るんだ。おやすみ」
 背中をぽんと叩かれて、僕は自分のボールに戻った。
「おやすみ」

 朝になって、ヒコザルくんはぼくを見るなり、わざとらしく顔を背けた。やっぱり、昨日のこと、嫌だったんだろうな。
「ヒコザルくん」
 ヒコザルくんどこかへ行こうとする。たぶんぼくから遠ざかろうとしている。ぼくは構わずに続けた。
「昨日は、……ごめんね」
 悪いのは分かってるけど、何が悪いのかをはっきりと言葉に出来なくて、思ったより上手には言えなかった。
 ヒコザルくんはちょっとだけこっちを見て、視線を下に落としている。
「謝ってるんだから、許してあげなよ。男の子だろ?」
 黙っていると、横からフローゼルおばちゃんがヒコザルくんに言葉を投げかける。
 ぼくらはその場に止まって、ヒコザルくんの言葉を待つ。
「分かったよ。いいよ」
 暫くしてから、ちょっとぶっきらぼうに、ヒコザルくんはそう言ってくれた。
「もし今日、あのコリンクが来たとしても、仲良くできるかい?」
 フローゼルおばちゃんの言葉に、ちょっとうつむき加減になって、ヒコザル君は小さく頷いた。
 ほっ、と僕は一息ついて、公園の庭につながるテラス窓の方を見た。差し込む朝日があまりに眩し過ぎて、右の羽根で目を隠す。羽根で影を作って、外を見ると、一匹のポケモンの姿があった。
「おはよう!」
 光が強すぎるせいか、そう言ったあの子の姿は、とてもきらきらして見えた。

 新しく加わった友達は、すぐにみんなの輪の中心になった。とても明るくて、やんちゃだった。フローゼルおばちゃんや研究員の人を困らせるイタズラを思いついたりもする。ぼくもヒコザルくんも、だいたいはコリンクの味方になって、一緒にあれこれ企んだ。誰がやったのかなんてすぐばれちゃうけど、みんな懲りずにまた手を出す。だって、あのドキドキはやみつきになるから。
 コリンクは足も速くて、かけっこさせたらヒコザルくんよりも早い。かけっこでは一等賞だった。 あれから砂山づくりはずっと続けていて、ぼくらの仲のシンボルとしてずっと残しておいた。ぼくらの体なんてすっぽり入ってしまうくらい大きくなった。砂場中の砂という砂は、ひとところに集められて、もうこれ以上大きくならないんじゃないかと思った。
 ずっと一緒にいられたらいいな、と思うけど、夕方になったらコリンクのママが迎えに来て、ぼくらはぎこちなくゆびきりげんまんしてお別れをする。雨の日は来てくれなくて、次の日が待ち遠しかった。昔は好きだった雨も、あまり好きになれなくなってしまった。明日もきっと会えるかな、ってフローゼルおばちゃんに聞いたら、きっと会える、って言われて、ぼくは毎日眠りにつく。

 そんな楽しい日々が終わってしまうなんて、考えたことがなかった。
 終わりは突然やってきた。
 ある日、砂場の山のてっぺんがぱっくり割れて、半分以上崩れて無くなっていたのだ。
「え、なんで」
 朝一番、コリンクが呟いた。
 ショックで何も言えない。とっても大事にしてたのに。悲しさと、残念さが混じったようなものが、胸の奥からこみ上げて来て、それを押さえつけるのに精いっぱいだった。
「どうせ誰かがぶつかって、壊したんじゃないの」
 ヒコザルくんはぶっきらぼうに、軽く呟いて、顔を横に向けていた。まるでどうでもいいみたいに。
 振り返ったコリンクの形相は、凄まじかった。歯を食いしばって、きっとヒコザルくんをにらむ。
「何だよ」
 ヒコザルくんがその目線に気付いた時にはもう遅かった。
 コリンクが体当たりして、ヒコザルくんを押し倒す。
「何するんだ……っ」
 乱暴に、コリンクはヒコザルくんに乗っかって、ひっかこうとしたり、噛みつこうとしたりした。ヒコザル君は両手両足をばたばたさせて、何とかさせないようにしている。
「あんたが壊したのね! ばか! ばか!」
 ヒステリックな声を上げて、コリンクは攻撃する。
「壊してない!」
 ヒコザルくんのパンチが、コリンクに入る。後ろにのけぞった瞬間、ヒコザル君は体勢を立て直し、今度は思いっきりコリンクを殴りつけた。
「俺じゃないもん!」
 裏返る程の大声で、ヒコザル君は叫んだ。
 しばらく取っ組みあっている二匹を、ぼくは何もできずにただ見ていた。
「やめて……ふたりとも、やめてよ」
 声に出してみたけど、届くほどの力はない。泣きたいのか、怒りたいのか分からなくなって、ぼくは、とぼとぼと研究所のボールの中に戻った。
 それから、ヒコザルくんとコリンクのけんかがどうなったかは、ちゃんと見ていないから分からない。どうにでもなればいい、そんなやけっぱちな気持ちで、目をつぶった。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-01-31 22:21 | 小説

不思議なあの子は素敵なこの子 後編

 うとうととし始めたその時、誰かがぼくをボールから出した。ボールの外に出ると、知らない男の子が、ぼくのことを見下ろして、笑っている。
「……それで、これがポッチャマだよ」
 研究員のおねえさんが、ぼくを指して紹介する。
 あぁ、そうか。この街から旅立つトレーナーは、ヒコザル、ナエトル、ポッチャマの三匹から一匹選んで最初のパートナーにする。ぼくは今、この男の子に選ばれてるんだな。
「どの子にする?」
 研究員さんが男の子に尋ねる。
「おれ、どれにするか決めてたんです。この子……ポッチャマにします」
 元気に、はっきりとした声で答えた。
「おめでとう、これで君も立派なポケモントレーナーね」
 はい、と研究員の方を向いて大きくうなずく。男の子はぼくを抱き上げ、目をまじまじと見た。ぼくも彼の目をじっと見た。これから、おれがいろんなところに連れてってやるよ。そう言われているような気がした。
「おれ、カズキ。これから一緒に頑張ろうぜ。よろしく」
 カズキはボールのスイッチをぼくに当て、中に戻した。いつも寝床として使っているボール。
「名前はどうする?」
 カズキはうーんと腕を組んで、少し前かがみになる。
「そうですね……あとで考えます。次の街に着くぐらいまでには決めようかな」
「そう」
 研究員さんはにこりと笑った。
「じゃあ、行ってきます」
「頑張ってね」
 一連のやりとりを見ていたけど、これから旅に出る実感なんて全くなかった。ボールの中は今までと全く変わらなかったからかもしれない。
 目の前に見えるあの山を越えて、街を抜けて、このシンオウ地方を駆け巡る。一体何があるのだろう、と期待に胸を膨らませる暇もなく、ぼくはこの子と一緒に街を出る事になってしまった。
 ゆびきりするの、すっかり忘れてたなぁ。
 寝起きのぼうっとした頭で、そんなことを考えていた。


 旅を始めてから、色んなものに出会った。
 コトブキシティみたいな目が回るくらいの大都会があるかと思えば、ソノオタウンみたいに一面に花が咲き乱れる町もあった。
 旅の途中で、仲間が増えた。みんなそれぞれ違う性格で、たまにけんかもしたりするけど、上手く取り持つのが僕の役目となった。正直僕自身バトルが得意っていうわけじゃないけど、でもメンバーからしたら「いてくれないと困る」存在らしい。よく分からないけど、みんなと一緒にいられるのは嬉しいし、いてもいいんだと自信が持てる。二度の進化を経験したけど、大きくなったのが図体だけじゃなければいいな、と思っている。
 エイチ湖のリゾートを抜けて、初めての海。カズキと一緒に歩いて、他のメンバーと一緒に水遊びしたときは楽しかった。砂山を作ろうという話になったとき、ふと、研究所の広場を思い出したりした。旅立つ前の記憶は、半分ぐらいはもう薄れている。赤ん坊の頃のことをちゃんと覚えていられないのは、脳細胞の生まれ変わるスピードがとても速いからだ。だから小さいころのことは、大事なことだけ残って後はどんどん忘れていってしまう。ミオシティの図書館で得た知識を、カズキは得意げに話していた。
 キッサキシティに向かうのは、骨が折れた。大雪になって、道中のポケモンセンターから一歩も外に出られない日が3日も続いた。出たら出たで、雪道に足を取られて中々先に進めない。そんな中、ぼくの体をそり代わりにして滑るなんてアイデアは、誰も思いつかなかっただろうな。
 旅の途中で、やがて気付いた。旅に出ると言う事は、今までの友だちとお別れをすることだ、ということに。もう、ヒコザルくんにも、コリンクにも、会うことはないのだ。時々そのことを考えて、どうしようもない暗い気持ちにとらわれた。


 そんな長い旅も、いよいよ終わりに近づいている。
 シンオウ地方の各地を巡り、ジムバッジを全て集めて、最後にトレーナーが集う場所。ポケモンリーグだ。

 午前中に一回戦を勝ち抜き、今日はもう予定はない。そんなトレーナーとポケモンのために、芝生のスペースが設けられている。
 そこを見ていたら、何となく研究所のことを思い出して、カズキに連れて行ってもらった。カズキは試合に気疲れしてしまったらしく、ベンチでぐっすり眠っている。
 そういえば、研究所の広場もこんな感じだったなぁ。辺りを見回して、そんなことを思う。遊具は無いけれど、色んなポケモンとトレーナーがいて、それぞれ別のことをしている。
 ふと右を見ると、一匹のレントラーが僕のそばに近寄ってきたことに気付いた。
「こんにちは。あなたも一回戦勝ったの?」
 首を傾げて尋ねてくる。声を聞くと、どうやらメスらしい。
「うん。とは言っても、僕はバトルしてないんだけどね」
 あはは、と笑ってみせる。彼女は首を軽く振って、にこりと微笑んだ。素敵な笑顔だと思った。
「バトルは一対一に見えても、一匹一匹がそれぞれ頑張らなきゃ勝てないものだからね。ここにまだいられるってことは、キミもきっと強いんだと思う」
「そうかな。……そうだといいな。ありがとう」
 僕は少し恥ずかしくて、はにかんだ。
「ところで、君はなんていうの……?」
 僕はレントラーに尋ねる。名前を聞きたかったのだが、ストレートに聞くのも乱暴な感じがしてはばかられる。濁しながらの言葉だったが、彼女は意味を汲み取ってくれたようだ。
「私? がおーねって言うの。マスターが付けてくれたんだ。キミは?」
 うっ、と言葉に詰まる。昔は良かったが、今は少し名乗りにくい。
「……ポコピー」
「ぷっ」
 ちょっと小声で言ったつもりだったけど、レントラーの大きな耳にはしっかり聞こえていたらしい。がおーねは噴き出して、顔を背けた。
「ご、ごめん」
「いやあ、いつものことだから」
 目をつぶって、肩を落とす。ポッチャマだった頃はいいけど、エンペルトのごつい体にこの名前は大したミスマッチだ。
「進化したての頃、うちのトレーナーに謝られたことがあったよ。『お前がこんなでっかくなるって知ってたら、もうちょっと別の名前考えてたのに』って。
 でも、今となってはポコピーでもいいと思ってる。だって、それで僕にあったポケモン達が笑って、僕に心を許してくれるんだもの。君も笑ってくれた」
 剣のようなつばさを広げて、おどけて話してみる。
「体まで張っちゃうとは、こりゃ一本取られました」
 がおーねは満面の笑みを浮かべた。笑ってしまえば、いがみ合った相手とも仲良くなれるきっかけになる。
「ポコピーって優しいんだね。小さい頃を思い出すよ」
「小さい頃?」
「うん、私が今のご主人にボールでゲットされる前の話ね。よくママのところを抜け出して、遊びに行く公園があったの。場所は……マサゴタウンだったかな。あの辺り。ヒコザルとか、ポッチャマとかと一緒に遊んでいたの。すごく仲が良かったんだけど、ヒコザルとけんかしちゃって、一緒にいたポッチャマは次の日からいなくなってた。そのあとすぐに、ヒコザルもいなくなってさ。そのまま結局けんか別れ。もう会えないって分かってたら、あんなことしなかったのになぁ」
 ため息をつくように、がおーねは言った。
 僕ははたと気がついた。もしかして、この子は。
「だから私、ポッチャマとかヒコザルとか、その進化系を見かけたら、話しかけてみることにしてるの。もしかしたら、あの時お別れしちゃった子たちと出会えるかもしれないから」
 なるほど、それで僕に話しかけてきたわけだ。
「それで、その子に会ったらどうするの?」
 僕は聞いた。
「そうだねぇ。まず、謝りたいと思う。ずっと楽しくやってたのに、勝手にかっとなって、全部台無しにしちゃったのは私だから」
 僕もがおーねも顔を広場の方に向けて、しばらく、沈黙していた。僕の目線はだんだん下に下がっていく。
 心臓の鳴りを抑えるのに必死だった。間違いない。がおーねはあの時のコリンクだ。まさか、こんなところで出会えるなんて。
 この子は気付いていないんだ。僕が言わなきゃ、この再会はきっと、なかったことになってしまう。
 少し遠くの方で、がおーねの名前を呼ぶ声が聞こえる。がおーねはそっちの方を向いて、立ち上がる。
「あ、そろそろ私行かなきゃ。ポコピー、話を聞いてくれてありがとう」
「う、うん」
 僕は小さな声でそうつぶやく。だめだ。と心の中で声がする。言うなら彼女が行ってしまう前、今しかない。
「あの……さ」
 がおーねは振り返った。なに、と優しい声。僕は顔をきっと上げて、がおーねの目を見据える。
「そのポッチャマ、僕なんだよ」
 僕は言った。
 がおーねは金色の目を見開き、その口は半開きになっていた。
 一言告白したら、胸の奥の方からするすると言葉が続けて出てきた。
「あの時ヒコザルくんとコリンクのケンカを止められなかったこと、ずっと後悔してた。どうしようもなくて、嫌な気持ちをずっと抱えてた。あの時、止められなくて、ごめん」
 本音だった。あんな別れ方なんて、僕の方こそしたくなかった。でも、時間はかかってしまったけど、もう一度会えたから、言いたいと思った。
 がおーねは真顔になって、僕の方に近づく。何をするかと思ったら、頭を僕のお腹に押し付けた。長く伸びた黒いたてがみはふさふさで、くすぐったくて温かい。
「ポコピーが謝ることないじゃない」
 下を向いているから顔は見えなかったけど、声が震えているのが分かった。
 僕はがおーねを傷つけないように、そっと両方の羽根でがおーねを包み込んだ。不器用な僕には、上手く包みこめてなんかないだろうけど、こうするしかないような気がした。すると、小さくむせび泣く声が聞こえた。

 がおーねのトレーナーが焦って迎えにくることはなかったから、まだ時間はあるらしい。しばらくして、がおーねは顔を上げた。
「あの砂山、夜の冷え込みで砂が乾燥して割れちゃったんだって。ヒコザルのせいなんかじゃなかった」
「ヒコザルにはまだ会えてないの?」
「うん。会ったらあの子にこそ謝りたいと思ってる」
「そっか」
 今頃、きっと立派なゴウカザルになっていることだろう。強気なヤツだから、トレーナーは苦労しているかもしれない。あいつにも、いつかまたもう一度会える日が来るといいな。
「それじゃあ、今度こそ、行くね。……その前に」
 がおーねは右の前足を出す。
「ゆびきりの代わり。また会えますようにって」
 ああ、昔も指きりしてたっけ。すっかり忘れていたけど、思い出した。
 人間みたいな指は無いけれど、僕らはかたい羽と大きな前足を通して約束できる。あの時と同じように、僕らはゆびきりをする。
「ポケモンリーグが終わったら、僕らはマサゴタウンに帰るつもり。全部終わったら、また会おう」
 今までにないぐらい、明るい気持ちがこみ上げて、大きな笑顔ができた。がおーねも同じ顔をして、大きく頷いた。
「私のご主人もマサゴタウン出身だからさ、帰ったら会いに行くよ。きっと」
 またね。
 僕は大きな羽根で、不器用に手を振った。
[PR]
by junjun-no2 | 2011-01-31 22:20 | 小説

ポケノベ企画「続きが気になる文章を書こう」 テーマ:祭り

『#8 その後の話、御祭騒ぎと神隠し』


「妹を探して欲しいんです」
 鳥坂は女子生徒に頭を下げられて困惑していた。
「そんなにかしこまらなくてもさ、同い年だし、そんな風にされると」
 彼にはその後にどう言葉を続けるのが一番賢いのか、見当もつかなかった。放課後、今から生徒達は部活に向かおうかという時間帯のことだった。
「とりあえず、話は聞くよ」
 肩に担ぎかけていた学校用かばんを下ろし、誰の席か分からない机の上に腰かける。鳥坂はため息をつきたくなったが、目の前にいる彼女の深刻な表情を見てためらった。

 彼女は何から話そうか悩んでいるようで、しばらくの沈黙が流れた。出来れば放課後は早く帰りたい鳥坂にとっては、早く終わらせたかった。
「てか、何で俺に相談しようと思ったの」
 鳥坂は聞いた。声から漏れる苛立ちを何とか隠そうとする。
「波多野君から。部活が同じだから相談したらさ、『鳥坂くんを頼ったらいいよ』って」
「波多野?」
 思わず顔が引きつる。波多野は、高校に入ってから仲良くなったクラスメイトだ。やたらと鳥坂と共に行動を取りたがるので、鳥坂は色々自分の話をせざるを得なくなった。
 鳥坂の先祖の中で一人だけ、人食い妖怪を退治する仕事をしている者がいたらしい。実家には彼の残した文献が保管されていて、両親はよくその妖しい存在のことを寝る前に聞かせ、鳥坂を怖がらせた。
 そんな血筋のためか、人には見えないものを見て、引き付ける力がある。あまり嬉しくはない。おおよそそういう存在は、鳥坂にとってよいものとはならない。
 波多野はそれを知ると、どこからか妖しい事件を持ちこみ、鳥坂に解決してもらおうとする。鳥坂にとってはただのトラブルメーカーだ。

「鳥坂くん?」
 苛立つ気持ちに囚われ、少し黙ってしまったようだ。
「あぁ、ごめん。そう言えば君の名前聞いてなかったね」
「7組の岸田よ」
 岸田さん、と鳥坂は復唱する。毎度毎度、新しい人に会うたびに冷や汗をかかずにはいられない。鳥坂は人の名前を覚えるのが苦手なのだ。
「それで、岸田さんの妹が行方不明なんだ」
 岸田は頷く。
「昨日祭りあったでしょ。4日連続の初日のやつ。妹もつれて行ってたんだけど、途中ではぐれちゃって」
「あぁ、神社の周りのやつね」
「そうそう。色々探しても見つからなくて、結局帰ってこなかった」
 大事じゃないか、と鳥坂は驚く。
「迷子のお知らせとか、警察行ったりとかは?」
「したよ。それでも見つからなかった」
 言葉を発した分だけ、岸田の肩が小さくなっていくような気がした。鳥坂は空気の抜けていく風船を思い出した。
 岸田は息を吸い込み直すと、顔を上げて続けた。
「それでね、もしかしたら神隠しじゃないかって話になって」
「神隠し、ねぇ」
「ねぇ、どう思う」
「どう、って言われてもなぁ。見てないから何とも」
 一瞬期待したような岸田の目は、また伏せられた。その様子を見て、気持ちが焦ってしまった鳥坂は、ついうっかり言葉を出してしまう。
「でも、まぁ、少し努力はしてみるよ。岸田さんも、今日はお祭りの関係者のとことかと協力して探して」
 本当に、ありがとう、と岸田は声を上げる。鳥坂はメールアドレスを交換し、また連絡すると伝えて別れた。

 岸田を見送り、教室を出ようとすると、廊下に波多野が立っていた。
「よぉ」
「よぉじゃねぇよ。また面倒なことを押しつけやがったな。それに部活はどうした」
 鳥坂の怒りを尻目に、波多野は笑った。
「まぁいいじゃん。人助けだと思えば。それに鳥さん、部活やってないからいつも暇そうじゃないか」
 悔しいが、反論できない。波多野は鳥坂のことを鳥さんと呼ぶ。
「どうせ俺の頭は鳥さんですよ」
 鳥坂は吐き捨てるように言った。波多野は全く聞く様子もなく、部室の方向へと歩き出した。そう言えば、と考える。結局波多野が何の部活をしているのか、鳥坂は知らない。聞こうと思っても会ってからはついつい言い忘れる。
「鳥さんで悪かったな」
 もう一度、鳥坂は呟いた。

 家に帰って、資料をひっぱり出しながらプランを練る。
先の残した情報は膨大で、調べるのには時間がかかる。段ボールをふた箱、自分の部屋に移す。重量に負けて、どすんと落とすように置いてしまった。
 今日の祭りに参加して今から急いで探す、というのは、得策ではない。もしただの誘拐だったなら、出来るだけ早く対応した方がいいし、一高校生が関わることではない。警察に任せればいいのだ。
 しかし、魑魅魍魎の仕業だったなら、事情は違ってくる。妖怪たちの行動原理は人間には理解しがたいものばかりだ。例えるなら、奴らは人間で遊んでいる。恐らく、得体の知れないものに対する知識など、多くの人間は持ち合わせていないだろう。
 一日などという短いスパンでは、おもちゃにした人間を捨てない可能性がある。大事なら、壊さずに大事にとっておくかもしれない。しかし、そうじゃないかもしれない。
 それはふたを開けてみるまで分からないことだ。だから、鳥坂はふたを開けてから何が起こっても無事に済むように準備を整える。
 ちらとカレンダーを見やった。今日は金曜日だから、明日は休みだ。今日と明日の午前中をかけて、祭りと妖怪について調べ上げる。実地調査は、明日の夜だ。
 鳥坂は岸田に、その旨を伝えた。

「こんばんは」
「よう」
 鳥坂は岸田と合流する。時計に目をやると、午後8時。空も暗くなり、普段の日なら高校生が外出していたらそろそろ怪しまれる時間帯だ。
「やっぱり妹さん、いなかったんだな」
 鳥坂は言う。
「うん。やっぱりこれ、アレなのかな」
「アレだな。俺もそう思う」
 神隠し。つまり、岸田の妹の誘拐事件の正体。急に岸田の頬が赤くなるのに気付く。
「こんなに必死に探してるのにさ、ひどいよね」
 泣きそうな声をしていた。既に家族が二日間、行方知れずなのだ。心配もするだろう。鳥坂は深く息を吐いた。
 祭りの囃子と雑踏が、小さな通りを張り詰めた空気に仕立て上げる。出店が神社に続く通りに並び、提灯が延々と遠くまで掲げられている。
「とりあえず、神社の方まで行ってみようか」
「分かった」
 神社までは、石畳のゆるい上り坂になっている。そのせいか、神社までの距離が妙に遠く感じられた。
 途中で、お面屋を見つけてはたと止まる。
「どうしたの?」
 岸田が聞く。鳥坂は口元に笑みを作る。
「これ買おうと思って」
「あ、かわいいね」
 色々なお面が並んでいる。戦隊モノの仮面5色、最近人気のヒロインものの妖精。
 ポケモンが一番上に並んでいるのを見て、鳥坂は苦笑いする。
 古くからあるようなオーソドックスな狐の仮面も売っていた。それが一番安かったので、それを購入する。
「岸田さんも買っといた方がいいよ」
「そう?」
「うん、必要だろうから」
 どれにしようかな、と悩んだ末に選んだのは、ポッチャマのお面だった。一応ゲームは一通りやったので、鳥坂はそれがどんなポケモンなのかを知っている。
「似合う?」
 笑いながらお面を付けて、聞いてきた。
「似合うんじゃないの」
「そっけないねぇ」
 岸田は頬をふくらました。

 仮面を頭に付けながら、二人は神社の前までやってきた。下に敷かれた細かい石が、踏まれるたびにじゃりじゃりと音を立てる。
 暗い時間に見ると、おごそかな雰囲気が一層強まる。きっとそれは、気のせいではないだろう。目に見えない何かが、そこで力を蓄えているのだ。鳥坂には屋根の上に、うっすらと巨大な何かの影が見えていた。
「神隠しが起こる条件って言うのは、いくつかある」
 鳥坂は切り出した。
「正確に言えば、今いる世界から違う世界に移動する条件だな。
 一つは、一人で完全に道に迷うこと。これが神隠しの中で一番多いケースなんだ。これは元いる世界から別の世界に移動してしまう場合に起こる。恐らく、岸田さんの妹もそれで神隠しにあったんだと思う」
 岸田は納得したように頷く。
「もう一つは、禁忌を犯したとき。
 怪談話で聞いたことないか? 『この扉は、絶対に開けてはなりません』っていうヤツ。もし自分が妖怪とかに閉じ込められた場合、そういう禁忌は破らなきゃいけない。相手は自分を閉じ込めたいから、都合のいいように相手の行動をそれとなく禁止する。だから、世界の出口はそこにある」
 岸田の顔をちらと見やると、良く分かっていないような顔をした。
 鳥坂はため息をついて、話を続けることにする。柄にもなく、熱くなり過ぎただろうか。
 二人はさらに、神社の本殿に向かって歩いていく。
「とにかく、入ってはいけない場所って言うのは、普段行けないような閉じた場所への入り口なんだよ。例えば、この神社の建物の中。
 俺らにしてみれば、ここは地元だろ。知ってる場所じゃ迷子にはそうそうなれない。だから、こうやって行くしかない」
「行くって、その……妖怪のいるところに?」
「そうだ」
 誰も見ていない瞬間を見計らって、鳥坂は手早く戸を開け、抵抗するより早く岸田を連れて中に入る。
 トン、と音がした時、外との関係が完全に断たれたような気がした。外の雑踏が聞こえなくなったのだ。

 鳥坂は二回拍手をし、二回頭を下げた。暗闇の向こうにいる何かへの敬意を払うためである。
――勝手にそちらの門を叩いてしまった無礼をお許しください。お邪魔します。

「よし、扉を開けて。ゆっくり」
「うん」
 カラカラ、という音を抑えながら、岸田は扉を開けて行く。
 外で行われている祭りは、まだ続いている。二人は外に出た。
「ここからは、お面をつけろ。絶対に外すなよ」
「何で?」
「元々お面って何のためにあるのか知らないだろ」
 岸田は頷く。
「そもそもお祭りってのは、人と霊と妖怪が一緒になる場所なんだ。他のものとの違いを隠すために、お面を被る。ここから先は妖怪だらけだ。人間がいるって分かった時点で、俺らみたいなのは即、食われてしまう」
 狐のお面を付けて、鳥坂は外に出た。
 確かに祭りは続いている。提灯の橙色の光が続き、にぎわっている。しかし、どこか雰囲気が違う。
 空がないのだ。星一つなければ、透き通って見通せるような高さを感じない。
 これが妖怪の世界か。鳥坂は今更ながら、ぞっとした。

 道を歩けば、いろんな姿をしたものとすれ違う。人の形をとっているものもあれば、獣のような姿をした生き物もいる。鳥坂の数倍ある巨人もいた。どうやって出店に入るんだろう、とその姿に恐れを抱きながら疑問に思う。
 出店はどういうわけか、人間のやっているものと殆ど同じに見えた。フランクフルト、やきそば、たこせん、金魚すくい、スーパーボールすくい、おもちゃ。今風だ。
「手を離すなよ」
 ここから先は迷子になり得る。鳥坂は岸田の手を握り、先へ進んでいった。
「離したらどうなるの」
「そんなこと聞くなよ。迷子になってお前も帰れなくなるしれないってこと。妹さんの二の舞に知らないからな」
「へぇ、こんな風に?」
「え?」
 岸田の手が、鳥坂から離れた。と思いたかったが、どうやら違う。消えた、としか考えられないような感触だった。手のひらから急に、握っていた手が無くなった。
 横をふと見てみれば、そこに岸田の姿はなかった。
「おい」
 何処へ行った。返事はない。

 仕方が無いので、一人で出店の間を歩いていく。
 後ろ盾がいなくなったせいか、急に周りの全てが大きくなったように見えた。心を強く持たねば、つぶれてしまいそうだ。
 ふと、鳥坂は自分の目を疑った。見知った人間がいるような気がする。彼は手を振って、こちらに笑いかけている。鳥坂は彼の元へ走った。
「波多野!」
 鳥坂は名前を呼んだ。少し暑くなって、狐のお面を外す。
「やっほー」
「やっほー、じゃなくてさ、お前、どうしてこんなところにいるんだよ」
 鳥坂は少し狼狽していた。
「いやぁ、俺もたまにはお前に協力してやろうと思って、妹さん探してたんだよ」
 波多野はきしし、と笑い声をあげる。そして、鳥坂に耳打ちする。
「それでさ、見つけたんだ」
「え、妹さんを?」
「ああ。来る?」
「行くに決まってるだろ」
 こんな危なっかしいところに、わざわざ何をしに来たと思っているんだ。鳥坂は眉をひそめる。
「じゃ、行こう」
 元気よく、波多野は歩きだす。

 場所は意外とすぐ近くだった。
 路地を抜け、焼き鳥屋とお面屋の間をくぐり抜けると、少し広い広場のような場所に出た。
 しゃてき、とひらがなで大きな看板がかかげられていた。広場全体を占める、巨大な射的ゲームのようだ。
「でかいな」
 鳥坂は呟いた。近づいてよく見ようとする。
『いらっしゃーい! 祭り名物、超巨大射的ゲーム! 実弾を使ったリアリティがウリ! 楽しいよぉーっ!』
 背中に花の咲いた巨大なカエルが、葉巻を吹かしながらはやし立てた。鳥坂は苦笑いした。お面屋でポケモンを見た時と同じ気持ちだ。
 任天堂は何を考えているんだろうか、と鳥坂は思う。ポケモンと言うのはデザインもネーミングも、妖怪の姿に酷似している。
 周りからは、ヒューヒュー、と口笛を吹いたり、手を叩いたりして盛り上がっている。いつの間にか、鳥坂は大勢の妖怪に取り囲まれていた。
『そこの人間の兄ちゃん、やってくかい』
 はたと気がつく。そう言えば、波多野に会った時に無意識的に仮面を外してしまっていた。あわててつけようとして、やめる。バレてしまったなら、もう同じことだ。
 もう一度的に目をやる。それに気付いた瞬間、鳥坂は目を見開いた。
 木に括りつけられた中学生ぐらいの女子が、意識を失ってぐったりとしているのだ。な、と言葉を発して、鳥坂は固まっていた。
「これは、どういう」
 鳥坂は中心に立てられた景品を指差す。波多野は淡々とした口調で答える。
「な、見つけたって言ったろ。あれがそうだよ」
 鳥坂は言葉が出てこなかった。やはり、岸田妹は妖怪のおもちゃにされていた。
「どうすんの、兄ちゃん、やってくのかい、やんねぇのかい。当たったものなら何でも、兄ちゃんにくれてやるよ」
 いらついたような言い方で、店主ははやし立てる。その顔は笑っていた。

「お前、本当に波多野か」
 鳥坂は波多野を睨んだ。波多野は両手を大げさに上げて、にやりと笑う。
「あぁ、君の知っている波多野祐樹そのものさ。でも、白状しよう。波多野祐樹は本当は存在しない人間なんだよ」
 そう言うと、飛びあがってくるくると回る。すると、波多野は紺色の狐のような姿に変わった。後ろから、ゾロアいいぞ、とはやし立て、笑う声が聞こえた。それが波多野の本名か、と鳥坂は察する。
『ついでに言うと、岸田さんもね』
「グルだったってわけか」
 一歩退きたくなる気持ちを抑えて、何とか姿勢を保つ。狼狽の言葉を発してしまったら最後、奴らに心から食われてしまう。波多野は続ける。
『妖怪退治屋の血を引く人間がこの街にいるって聞いたからさ、俺らとしてはやっぱり迷惑じゃん? 早めに潰しておきたくて、皆でそいつをやっちまおうって話さ。誰がその人間なのかを探すの、苦労したんだぜ。何人かに目を付けて、仲間をけしかける。そうやって虱潰しに調べたよ。鳥坂がそうだって確信するまでに一か月かかった』
 少し踊るように跳びはねながら、鳥坂の周りをぐるぐる回りながら話す。
 それで、最後の仕留めにかかるためにこちらに入ってくるように仕組んだ。そう言う事か。
「じゃあ、あそこにいるのは」
 鳥坂は括りつけられた女子を指さした。
『あれがホントの岸田さん。妹ってのは、ウソさ』
 波多野はキシシと笑った。
 うーて、うーて、と周囲からのコールが聞こえる。波多野は辺りを見回して、鳥坂に言う。
『まぁ、ただ俺達が鳥さんを食うだけじゃみんなも面白くないからさ、ちょっと遊ばれてやってよ。一回ぐらいショータイム見せてもいいんじゃない?』
「ショータイムって」
 鉄砲が急に浮き、鳥坂の右手に無理やり収められる。
 恐らく波多野の念動力か何かだろう、と鳥坂は推測する。ちゃんと鳥坂の手が鉄砲を持っていることを確認すると、波多野は射的の台に乗っかり、声を上げる。
『さーぁ、皆さん、鳥坂くん最後のショータイム! 助けたかった女の子を撃たなきゃいけないの巻、始まるよー!』
 そういうことか。ショータイムの意味を鳥坂は理解する。鳥坂が救出する筈だった岸田を殺さなくてはいけない様子を、魑魅魍魎は楽しんでいる。
 周囲の歓声は更に大きく上がる。コールお願いしまーす、と波多野が言うと、発砲をはやし立てる拍手の音が聞こえる。
 鳥坂は銃を握り締めた。
[PR]
by junjun-no2 | 2010-08-28 01:36 | 小説

僕はピカチュウの 



「3570円です~」
「あ、プレゼント箱に包んで下さい」
 大学生ぐらいの男の子が僕を買ってくれた。
 彼女さんに僕をプレゼントするのかなぁ。どきどき。
 工場で生まれて間もない僕だけど、そういうのってニヤニヤが止まらないよね。
 ああ美しき青春の……
 なんだろう? てへ。

 ちょっとかっこいいお兄さんでございましたし、彼女くらいいるよね。
 箱に詰められて揺られてる間も、僕の行先そっちのけでずっと妄想してました。
 動けないからそれしかすることがないんだけどね。

「ただいま」

 あ、家に帰ったみたい。
 プレゼント箱は開けられた。

――って、あれ?


 ベッドの上。
 どうみても女の子の部屋じゃない。すごい質素。
 そう言えば、プレゼントするそぶりもなかったし……

 さっきの男の子が僕を取り上げて、ベッドの枕元に置いた。
 まさか、自分用?
 彼はベッドに寝っ転がると、頬杖をついて僕を見ている。
「ピカチュウちゃん、今日から宜しくねぇ」
 にやってしてる! こいつ、にやってしたよ今!
 プレゼント用に僕を買ったんじゃなかったのか!
 期待してたのに……。と、そこで、高望みはやっぱりいけないな、と思い直しました。
 頭を撫でて、彼は出ていく。ぬいぐるみ人生は大体平穏だって噂は聞くけど、僕の場合は一体どうなんだろう。不安だ……


「おや、新入りかい」

 あれ、誰だ? 辺りを見回して、その声の主を探す。

「ここだよ、ここ」

 壁掛け用の木彫りのキツネが、どうやら僕に話しかけているらしい。位置としては、ベッドの脚側のすぐ上の壁。

「キミも大変だな。彼、……そう言うのが趣味だからさ」

 小声で言わないでくださいキツネさん。どう言う趣味ですか。

「まぁ、頑張れよ。気楽にやりな」
「は、はぁ」

 キツネさん……あなたは彼の何を知っているんでしょうか。それに、気を引き締めるのかリラックスするのかどっちなんでしょうか。
 それ以上のコンタクトが無いから、僕は聞くに聞けなかった。

 彼が部屋に入って来た。明かりを消して、ベッドの中に潜り込む。
 そして、彼は僕をベッドの中に引っ張り込んで、両の腕で僕を抱きしめたのだ。
 もうどうにでもしてください……と、キツネさんの選択肢のうち、泣く泣く後者を選ぶことにした。

「あったかいなぁ……」

 嬉しそうに言わないでくださいお兄さん。繊細なマズルが潰れる!
 そう思った矢先、彼の呼吸がだんだん深くなってきて、腕の力も緩んでくる。
 少し解放されたおかげで、心安らかに毛布の熱を味わうことができるようになる。確かにあったかい。
 これくらいなら、まぁ一緒に過ごしててもまぁ大丈夫かな。
……と心を少しでも許した僕は、ばかだったんだ。たぶん。





あとがき。
某所でバレンタイン企画用に書いたものです。
途中から仮面舞踏会になってきたので、まなみ名義で投稿してきました。
[PR]
by junjun-no2 | 2009-02-14 20:14 | 小説