タブトーク・前編

 明らかに異常なレベルのタブンネが一番道路に発生した。
 カノコタウンのポケモンレンジャー事務所。電話を受けた所長は、コールを呼び出した。
「どうしました、所長?」
 コールが顔を覗かせた。レンジャーの赤い制服は動きやすさを重視して作られているが、この男が着るとどうも締まりがなかった。ぼりぼりと頭をかきながら、面倒くさそうな顔をしている。目のくまを見るに、恐らく先ほどまでどこかで居眠りをしていたに違いない。所長は問いただそうかと思ったが、話を続ける。
「あぁ、トレーナーから報告があってな。本来一番道路にいないはずの高レベルのタブンネが見つかったそうだ。今行けるのはお前しかいないから、ちょっと見て来い」
 うーん、とコールは唸った。
「一番道路を散策するトレーナーなんて、最初のポケモンを貰いたての若い連中ぐらいでしょう。ちょっとくらい強いポケモンがどこにいてもおかしくないですし、気のせいじゃないですかねぇ」
 コールはポケモンレンジャーの資格を取って、三年目の若手だ。入りたては良く働く男だと思っていたのに、最近は中だるみと言うべきか、妙に気力のない言動が目立つ。所長の悩みの種は、専らそれだった。
「言い訳してないで行って来い!」
「はい、すみません!」
 慌てて踵を返し、出かける準備を始めるコール。所長はため息をついた。

 コールはレンジャー用の道具が一式揃ったリュックを背負い、事務所を出て自転車を走らせた。所長のカミナリに少し反省はするものの、気だるい気持ちが抜け切れない。季節は春、ようやく安定して温かくなってきたのだが、それが逆にコールの眠気を誘っている。現在、午後三時。日が暮れるまでに終わればいいのだがと、コールは思った。怒られた手前、何も成果を上げずに帰るわけにはいかない。ポケモンレンジャー全員に支給される赤いハットが飛びそうになり、手で押さえる。風が吹いて、花びらが宙を舞い始める。地面に埋まった看板が見えた。「この先、一番道路」。
 先に続く道路を見る。道は二つある。一つはカノコタウンから真っすぐに伸び、カラクサタウンへと続く大きな道路。もう一つは、大きな道路の途中から脇に逸れる道だ。舗装もされていない、明るい森へと続く林道。その分岐点でコールは自転車のブレーキをかけた。後輪が砂利で滑る。邪魔にならないように自転車を脇に止め、林道に向かって歩いていった。
 人が三、四人並んで歩けるほどの広さの地面が、しっかり踏み固められている。カノコタウン出身の新米トレーナー達のものだ。彼らは旅立ちを迎えるとまずこの森で力を磨く。野生ポケモンと戦い、ポケモンバトルの基本的な感覚と判断を実戦形式で身につける。この辺りの野生ポケモン達の力は弱く、技を何度も繰り出さないと決着がつかない程度。判断ミスが命取りになったりすることはまれなので、ポケモンバトルの練習にはうってつけだ。
 それでも、不慮の事故が全く無いとは言い切れない。トレーナー達の安全な環境づくりの意味も込めて、この小さな森の環境を整えるのがコールの仕事だった。不穏な事態が発生すれば、緊急出動もありえる。今回がまさにそうだ。
 異常なレベルのタブンネ、と電話主は言っていた。この森の野生らしからぬ、強力なポケモン。下手に放っておいては、この森がトレーナーにとっても野生ポケモン達にとっても危険な場所になりかねない。タブンネは温厚な種族だ、と言われてはいるが、パニックになれば力だって出す。本人にとってもためにならない話だ。所長の言わんとするところは、大体こんなものだろう。
 コールはタブンネが本当にいるのか、未だ半信半疑だった。新米トレーナーの見間違いであるのではないかと考え、そうあってくれと信じていた。厄介事に関わるのは、誰だって嫌なものだ。

 適当な場所に立ち止まって、耳を澄ませてみる。自分の音を全て消し、全方向の音を受け止めようと努める。ぼうっと立ちつくしていると、うっかり気を許したポケモンが寄ってくる。
 後ろから、がさりと音が聞こえる。草むらから誰かが顔を出す音だ、と直感した。音の主を脅かさぬように、ゆっくりと振り返る。
 ピンク色の頭と、黄色の身体。小学校に入りたての子どもと同じくらいの身長。大きな耳にくるんと丸まった細長いものがリボンの端のようだ。青い瞳で、こちらをじっと見つめてくる。タブンネだ。コールはリュックからレベル測定器を取り出し、そいつに向けた。
 やはりか、とコールは落胆した。事実は自分の望むようにはならないものだと思った。機械が示した数値は、ポケモンリーグに出場するトレーナーのポケモン相当のレベルだった。そこまでとなると、自分の一匹しかいない手持ちでも太刀打ちできる自信はない。コールは機械をリュックに戻し、背負い直してタブンネに向き直ろうとした。その時だった。
 気付かぬうちに、タブンネはコールのそばまで近づいていた。コールの身体がびくっと震える。タブンネは両手を上げた。一瞬のうちに、数々の思いが頭を巡る。これはマズい。高レベルであるということは、人間を簡単にいなす力があると言うこと。逃げなければ。しかし、それはあまりにも一瞬のことで、抵抗することさえできなかった。タブンネの両手がコールの身体に触れる。
 何が、起こったのだろう。
 その瞬間、頭の位置は変わらないのに、急に地面が消滅して、コールはすとんとその場に落ちた。リュックが腕から離れ、服が全て身体から余ってしまった。衣類が身体から離れてしまう。身体が縮んでしまったのか、とコールは思った。いや、しかし、そんなことって。
 尻もちをつく。顔が完全に服の中にすっぽりと隠れて、視界は真っ黒だ。尾てい骨の上あたりがやたらと痛かった。細い器官を挟んでしまったかのような。腰の辺りにできものでもできていたのかと思った。声を上げそうになる。
 痛む部分をさすろうと、手を伸ばす。しかし、手がお腹の真ん中までしか届かない。やはり、手が短くなってしまったのか。身体をよじって、何とか触れてみた。ふわふわとした感触がある。これは、なんだ。全身から、汗が吹き出す。嫌な感じがする。
 コールは慌てて服を脱ぎ捨て、リュックを求めた。確か中に鏡があったはずだ。自分の身に何が起きたのか確認しなければ。リュックを見つけ、手を伸ばす。
 伸ばした手は、自分の知っているそれではなかった。ピンクとレモン色のツートンカラー。指先は小さく、赤ん坊のような手。明らかに、人間のものではない。まさか、まさか。鞄の中の鏡を取り出し、自分の姿を映した。見ずとも答えは分かっているようなものだったが、鏡を見るまでは信じまいとした。もしかしたらそうではないのではないかという思いがあった。だがそれも空しく、身体から剥がれ落ちた。
 映った姿は、タブンネそのもの。間違いなく、自分の身体だ。
『これは復讐だよ』
 後ろから、誰かが呟く。甘い女性の声だった。コールは振り返る。人間の姿はない。さっき自分に触れたタブンネが、そこにいるだけだった。まさか、彼女が喋っているのか。タブンネの目は相変わらず虚ろで、生気を感じられない。ふわっと近づいて、コールの身体が恐怖に震えるうちに、タブンネはコールを押し倒した。
 タブンネはコールに覆いかぶさっている。顔が影になってよく見えない。
『ずっとやられっぱなしになってる方の気持ちを知れよ、人間』
 しかし、口元でうすら寒い笑みを浮かべたのははっきりと分かった。タブンネは小さな両手でコールの首を掴む。タブンネは全体重をコールに乗せ、コールの首を絞めていく。コールはタブンネの腕を取り払おうとした。だが、人間とは違う感覚で、力を上手く伝えられない。苦しい。息が出来なくなる。身体中の流れが止められる。深く暗い闇が、まぶたの裏に映った。徐々に闇が視界を支配していく。
 耳のひだに、タブンネの手が触れた。その瞬間、嫌な音が身体の中に流れ込んだ。誰かが殴られたような、鈍い音。それをあざ笑うような、そういう音。
 意識を失いかけたその時、タブンネの手が緩んだ。コールは勢いよく息を吸い込み、むせた。視界が元に戻っていく。タブンネの顔が、青い瞳が映る。彼女は涙を流していた。コールは困惑した。そして、何かを決したかのように、瞳に鋭さを込めた。両手をもう一度、コールの顔にかざす。また首を絞められるのかと思ってびくついた。だがそうではないらしい。タブンネの両手から黄色い光が溢れ出す。そして、光線が放たれる。眩しさに目を閉じた。
『本性出せよ、この悪魔』
 タブンネは言葉を吐き捨てた。タブンネの手から放たれる光線が、コールの心を分断する。コールは意識の中に、何か別の存在が現れるのを感じた。一度溢れたら最後、絶対に抗うことのできない、赤い闇。骨の髄から漏れ出して、徐々にサイズを増し身体を支配しようとする。心臓の鼓動が早くなる。止めたいと思っても、既に身体のほとんどは闇に飲み込まれてしまっていた。体系だった自分というものが壊れて、体じゅうを探してももうどこにもない。息が荒くなっていく。ごくりとつばを飲み込む音がいやに響いて、赤い闇に意識の全てを奪われた。

 どこかで丸くなっている自分に気がついた。起きようと思って背伸びをすると、急に視界が明るく開けた。
 誰かの家のリビングだ。広くはないものの、窓から差し込む光が部屋を明るくし、狭さを感じさせないようにしていた。一人暮らしだろうか、モノが少ないように思えた。あるのは、緑色のソファに、ガラスのテーブル。引き出しのついた背の低い木の棚、その上に薄型テレビ。テーブルの上に置いてあるモンスターボールが、開きっぱなしで揺れている。もしかして、自分はこのボールから出てきたのだろうか。モンスターボールの中はポケモンにとって快適な空間になっているとは言われているが、実際に見る機会なんてそうそう無い。どうやって入ったらいいかも分からないし、少し勿体ないことをしたな、と惜しい気持ちになった。
 両手をまじまじと見つめる。どうやらまだ自分はタブンネの姿のままらしいことを知る。
『あら、おはよう』
 廊下側から、タブンネが顔を出した。一瞬、自分を襲ったタブンネかと思ったが、別人だとすぐに分かった。何から何まで全て違うように見えた。具体的に違う点を挙げるとすれば、彼女の場合目元が少し離れている。瞳の輝き方も全然違う。自分と同じ動物の顔は見分けられるのだ、という話を思い出す。タブンネの違いがはっきりと分かってしまう自分が、少し悲しい。
 それにしても、このタブンネも喋っている。自分がポケモンだから、ポケモンの言葉を理解できるのだろうか。そんな疑問はさておき、今は彼女に話を合わせた方がよさそうだ。おはよう、とコールは返した。
『ここは、一体どこだい? それに、君は……』
 コールは言った。そのタブンネは窓のそばに寄り、外を見た。暫くののち、彼女は答える。
『ここはカラクサタウンのアパートリプレ301号室よ。私はミミ。ポケモンレンジャーしてるフィデルのお手伝いをしてるの』
『フィデルだって? それってまさか、あの?』
 コールは思わず聞き返した。ポケモンレンジャー界では、名の知れた人だ。まだレンジャー歴は自分より数年上なだけの若手だが、ポケモンを傷つけない独特のスタイルによって暴れるポケモンを宥めてきた凄腕の先輩レンジャーだ。少なくとも、コールにとっては憧れの存在であった。新人研修の時に一度彼女の仕事を見る機会があったが、このミミとのコンビネーションは抜群で、尊敬の念を抱くようになった。彼女が黄色いビードロを吹き混乱状態のポケモンを宥める姿は、身近な夢のモデルにふさわしいものだった。
「おはよう、ミミ」
 廊下側から、一人の女性が顔を出す。ピンクのチェック柄のパジャマを着ていたが、すぐにフィデル本人だと分かった。思わず、顔を覆ってしまう。どうしよう。今、自分は憧れの彼女の家にいる。正直な話、彼女に対して思うところは憧れだけでなく、一人の男としての好意という意味も含んでいるのだ。
「きみもおはよう。もう落ち着いた?」
 フィデルはしゃがみ、目線をタブンネに合わせて頭を撫でた。さらさらとする。優しい感触に思わず目を閉じる。全身が緊張し、心臓の鼓動が早くなる。憧れの人からの思わぬアプローチ。しかも、向こうは自分が本当は人間だということにすら気付いていないせいで、遠慮がない。手を乗せたまま、フィデルの瞳がじっとコールを見つめた。
『あ、あの』
 直視に耐えられず、思わず目を背けた。しばらくするとフィデルは、安心して、ここは大丈夫だからね、と言ってコールの頭をぽんぽんと叩き、別の部屋に行ってしまった。
 ひとまず予期せぬ緊張は去り、コールはため息をついた。心の余裕が出来たところで、フィデルの言葉を不思議に思った。ミミに尋ねてみる。
『ミミ、落ち着いた、ってどういうことなんだ?』
『ええっ!?』
 ミミは声を上げ、大げさに驚いたリアクションを取った。自分の意識がないうちに、信じられないほどのことをやってしまったらしい。
『あまり記憶がなくてさ』
 コールは苦笑した。あの光の後、一体何があったのか。コールは知りたいと思った。何から話そうか迷っているのか、ミミはもじもじしていた。
『一番道路におかしなくらい強いタブンネが出た、っていう報告があったらしいんだけどね、その子を助けに行ったレンジャーが行方不明になっちゃって、それで代わりにフィデルと私が止めに行ったの。あなたすごい暴れようだったわよ。シンプルビームはむちゃくちゃに撃つし。フィデルのビードロもぜんぜん効かないし。あくびをしたらすぐに眠ってくれたからよかったけど、ちょっと怖かった。あれは興奮しているというより、何かにすごく怒ってる、って感じだったなぁ』
 どうやら、勘違いされているようだ。コールが対処しようとしたタブンネが、いつのまにか自分ということになっている。ミミやフィデルは恐らく、一件落着と思っているだろう。でも、本当はまだ何も解決していない。
 人間としての自分は、行方不明扱いされているようだった。あの場に服もリュックも置き去りにしてきたのだ。救援を呼ぶほどの大事と判断された以上、誰かがそれを見つけ、回収してくれたのだろうが、それについては元の姿に戻ってから考えることにしよう、と決めた。
 シンプルビーム、と聞いて、思い当たる節があった。もしかしたら自分を襲ったタブンネが最後に放った光線はそれかもしれない。特性をたんじゅんにする技。それがどういうわけか、人の理性を失わせる方向に効果がシフトしたのだろう、と推察した。つまるところ、自分の特性を書き換えられることで、一時的にただの獣にされていたのだ。
『ねぇ、何に怒ってたの?』
 ミミは首を傾げながら聞いた。
『うーん、分からないな』
 コールは苦笑した。自分が何かに怒っている? 少し深く考えてみたが、心辺りはない。強いて言うなら、首を絞められた時に聞いたあの嫌な鈍い音だ。誰かに殴られた時のような、あの鈍い音には非常に嫌悪感を覚えた気がする。

 フィデルが戻ってきた。パンとミルクを両手に携えて、ガラスのテーブルに置いた。ランチョンマットを忘れた、と言って、自分の朝食をテーブルに置いて慌てて取りに行った。彼女が戻ってきた時、ぐぅとお腹が鳴った。あぁ、ごめん、二人のご飯も用意するから、と言って、フィデルはまた台所に戻る。戻ってきた時、その手にあるものを見て思わずぎょっとしてしまった。自分もポケモンに食べさせているから見たことのある袋。ポケモンフーズだ。これを食えって言うのか。コールは冷や汗をかいた。
 茶色い塊が、お皿に盛られる。傍目にも、あまり美味しそうには見えない代物。いただきまーす、と、一人と一匹の声。ミミはポケモンフーズを口に含み、ゆっくりと噛んで食べる。おしとやかだが、一歩踏み出す勇気が出なかった。
「食べないの?」
 フィデルは聞いた。コールはフィデルの顔を見つめる。
「いいんだよ、食べれなかったら。無理しないでね」
 そう言って、フィデルは優しく微笑んだ。胸の奥から、つんと湧きあがってくる切ない気持ちを感じた。タブンネの姿になっても、まだ彼女に対する人間としての気持ちは持ち続けられていることに一抹の安堵を覚えた。流石に頭を撫でられるのは想定外過ぎて緊張を禁じえなかったが、今は落ち着いてそんなことを考えていた。
 思考は、折角好きな人が用意してくれた食事を食べないのは失礼だ、という結論に至る。ここで引いては男がすたると、妙な意地が生まれる。ええい、ままよ、とポケモンフーズを口に含んで噛んでみた。
 うまい。コールは驚きを隠せなかった。一口、もう一口と、次々にポケモンフーズを口に運ぶ。これはこんなにうまいものだったのかと、ある種の感動さえ覚えた。
 次々に口に放りこんでいく姿を見て、フィデルはにっこりとほほ笑んだ。その姿に気付いたコールは、やってしまった、と思った。女性の前でみっともないところを見せてしまった、とどぎまぎした。もちろん、そんな風に今のコールを見る人間は一人もいなかった。
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by junjun-no2 | 2011-08-25 12:16 | 小説
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